「春節」と他文化理解・受容の難しさ

2月、一年ぶりに現地の様子を見にオーストラリアへ行っていた。いつもは東京からシドニーへ入るが、今回は成田からブリスベンへ入った。10℃を切る寒さの東京から、一気に晩夏、と言いつつ、30℃近い気候に放り込まれた身体はビックリしたのではないかと思う。 ブリスベン・サウスバンクを対岸から臨む  そんな私をチェックインしたブリスベンのホテルで迎えてくれたのは、このポスターだった。 そうだ、そうだ、春節…Chinese New Yearだったなぁ、と思い出した。  以前ブログ「申年徒然」で、オーストラリアでも春節が祝われていて、結構自分の干支を知っているオーストラリアの人たちが多い話を紹介したことがあった。その後、春節は年々オーストラリア社会でのプレゼンスが高まり、 »

オーストラリア七不思議の一つ

年明け早々、真夏のオーストラリアからマルコム・ターンブル首相が真冬の日本にやって来た。米国など大国のリーダーの来日に比べるとそれほどニュース性は高くないが、日本の大手メディアはNHKを含め、一律日豪首脳会談の報道をしていたから、気が付いた人も多いのではないかと思う。 2018年1月18日 日テレNews24画面(スクリーンショット)  昨年末、ターブル首相来日の話が流れた時には、昨今の国際情勢を受け、安全保障面の連携を協議するために年明けに首脳会談実施を調整中、と緊急にセットされた首脳会談とも取れるような報道もあったが、今回この時期にターンブル首相が来日したのは、単に前々からそう決まっていたからだ。2014年7月に安倍総理がオーストラリア訪問をした際に、当時のアボット首相との間で、日豪首脳は毎年相互を訪問し、定期的に会談をしようと取り決めがなされた。それに従い、 »

「“ちゃんと”出来て当たり前」ではない社会

先月、渋谷ヒカリエで開催された「超福祉展(2020年、渋谷。超福祉の日常を体験しよう展)」というイベントに参加して来た。これは2014年から一年に一度開催されている、障害を持つ人たちやLGBTの人たちなど、所謂社会的弱者=マイノリティの人たちも含めた、多様性のある社会を築いていくための情報発信イベントだ。なので、もちろんマイノリティの人たちの参加が多くあるが、どちらかと言うと、マイノリティではない人たちに対して、多くのメッセージが発信されているイベント、という印象を私は受けた。  一週間に亘り、数々の体験イベントやシンポジウムが開催され、私はセッションを3つだけ覗かせてもらった。その中で特に「『注文をまちがえる料理店』と『 »

シドニーのアイコンの丸ビル

どうして人間は高いところに上りたがるのだろう。以前に「登るか、登らないか…それはそもそも問題か?」のブログで書いたように、世界の中心とか、地球のヘソ、とも言われているウルルに、地元の先住民の人たちが登らないで、と言っても、登る、という選択をする人は後を絶たない。眺望が良いのはもちろん。そして、何か征服感があるのかな、と想像する。  私は、と言えば、あまり高所へ上ることにはこだわりがない。高所恐怖症だ、ということではない。展望台のあるところは混むところが多いので、何となく苦手、わざわざ行く必要もない、という感じだろうか。 »

ハロウィンを祝うのは非国民??

またまた巷にカボチャが溢れる季節がやって来た。ハロウィンである。このお祭り、というのか、イベント、というのか、商戦?というものが日本で騒がれ出して、どのくらいだろう。15年ぐらいだろうか。私がオーストラリアに留学したのは2003年だが、その頃には話題にはなっていたが、今ほど大騒ぎはしていなかったように思うが…。  この日本における“ハロウィン現象”、どうも私は馴染めない。そもそも私はへそ曲がりで、多くの人が一様に騒いでいる事柄には何となく冷めてしまう人間である。そこに持って来て、クリスマスやバレンタインデーと同様に、その行事の歴史や文化的背景と切り離され、商業的な側面ばかりがプロモーションされていることに強い違和感がある。  更に!日本上陸当初はハロウィンが“海外” »