オーストラリア七不思議の一つ

 年明け早々、真夏のオーストラリアからマルコム・ターンブル首相が真冬の日本にやって来た。米国など大国のリーダーの来日に比べるとそれほどニュース性は高くないが、日本の大手メディアはNHKを含め、一律日豪首脳会談の報道をしていたから、気が付いた人も多いのではないかと思う。

2018年1月18日 日テレNews24画面(スクリーンショット)

 昨年末、ターブル首相来日の話が流れた時には、昨今の国際情勢を受け、安全保障面の連携を協議するために年明けに首脳会談実施を調整中、と緊急にセットされた首脳会談とも取れるような報道もあったが、今回この時期にターンブル首相が来日したのは、単に前々からそう決まっていたからだ。2014年7月に安倍総理がオーストラリア訪問をした際に、当時のアボット首相との間で、日豪首脳は毎年相互を訪問し、定期的に会談をしようと取り決めがなされた。それに従い、翌2015年12月には、その年の9月にアボット首相に変わって首相の座に就いたターンブル首相が来日。そのほぼ一年後の昨年1月には、安倍総理がオーストラリアを訪問してシドニーで首脳会談が行われている。
 そこからちょうど一年ということで実施された今回のターンブル首相の訪日。内容は事前に報道されたように、日豪の安全保障面での連携に重きを置かれたものになった。18日は朝から防衛省で出迎えた安倍総理と自衛隊のヘリコプターで習志野の陸上自衛隊の演習場を訪問。

ターンブル首相のツイッター投稿(スクリーンショット)

 陸自特殊部隊とやらの訓練を視察後、いくつかの装備品?武器?をも視察したのだそうだ。
 そして、都内に戻って日豪経済合同委員会主催の昼食会に出席。午後には首相官邸へ出向いて、国家安全保障会議特別会合へ同席した後、日豪首脳会談、その後首相公邸での夕食会に臨んでいる。一日に凝縮された訪日日程。自衛隊演習場訪問とか、国家安全保障会議特別会合同席、など、どうも日豪関係が軍事化…というのか、マッチョな感じになっていくのが、個人的には残念な気がするが、それが時代の要請、ということなのだろうか。

 そのようなマッチョな内容の報道が多くなされた中で、1月19日付朝日新聞デジタル版に掲載されたターンブル首相来日関連記事は、少々心和むものだった。それは、ターンブル首相が2駅だけだが、地下鉄丸ノ内線に乗車した、というものだった。これも日本のテロ対策の視察の一環だった、ということで、やはり"マッチョ系日程"の一つではあるが、東京駅から乗車する前には丸の内駅舎の見学などもしたらしく、ターンブル首相にとっては少し息抜きが出来た時間だったかも、と想像する。

「丸ノ内線に乗るために、東京駅の改札を通るターンブル首相(中央)=18日午後、東京都千代田区」(スクリーンショット)

「東京駅から丸ノ内線に乗るターンブル首相(中央)=18日午後、東京都千代田区」(スクリーンショット)


   記事のタイトルは「豪首相、丸ノ内線に現る 手すりにつかまり、笑顔で視察」とあるが、実は私はこの記事を見た瞬間に、大変失礼ながら大笑いをしてしまった。「首相、テロ対策視察も良いけど、どうやったら電車がちゃんと走るか、を視察して行った方がいいんじゃないですかぁ?」と咄嗟に思ったからだ。

 前回のブログに書いたように、オーストラリア社会には日本が学んだらいいんじゃないかな、と思うことがいくつもあるけれど、もちろん逆にオーストラリアが日本から学べるのでは、と思うことも多々存在する。その最たるものが、公共の交通機関のスムーズな運営だ。オーストラリアと一口に言っても広く、飽くまでも私が体験したシドニーとメルボルンでのことだが、電車、バス、そしてメルボルンではトラム(市電)も含めて、公共の交通機関がなかなか"ちゃんと"走ってくれないのだ…。前回のブログに書いたように、こちらもちゃんとコトがなされないことへの許容度が大分アップしたので、いちいち苦情を言うようなことはしなかったが(無駄だし…)、しかし、なぜ?という問いを発せざるを得ない事態に度々遭遇した。
 今回はシドニーでのエピソードを披露すると、まずは何と言っても問題なのは、なかなか時間通りに走ってくれないことだ。例えば、私が留学していた町・ウーロンゴンは、シドニーから80キロほど南へ行ったところにある工業都市だが、両都市間の移動は、自家用車がなければ電車だけが頼りである。ウーロンゴンからシドニーのターミナル駅、セントラル・ステーションまで、時刻表だと1時間35分の旅だが、セントラルに到着して、腕時計を見て、5分ぐらいの誤差で到着していたら、あぁ、今日はちゃんと走ったなぁ、と思ったものだ。つまり、そのくらい遅れることが多かったのだ。
 おまけに、7年ウーロンゴンに住んでいる間にダイヤ改正があり、学生寮の最寄り駅だったフェアリーメドウ駅に急行が止まらなくなってしまった。そのため、途中の駅での乗り換えが発生するようになってしまったために、シドニーが10分程ではあるが、遠くなってしまったのだ。当然"改正"は"改良"と思っていたので、裏切られた気分だった…。

フェアリーメドウ駅(2013年7月5日撮影)

 この頼みの電車の路線が、週末になると「トラックワーク」、つまり「工事」をしていることが多かった。何せ線路は上り下り1本ずつしかないので、トラックワークが入ると、その週末電車はお休み。ウーロンゴン・シドニー間の移動は代替のバスを使わなければならなかった。当然時間は余計にかかるし、臨時のバス停がどこに設置されているかの告知が不十分だったりして、右往左往したことが一度や二度ではない。久しぶりに週末はシドニーに遊びに行こう、と張り切っていたのに、その週末はトラックワーク、と知った時のショック度はかなりのものだった。

フェアリーメドウ駅からシドニー方面を臨む(2017年2月28日撮影)

 更に…。
 これは私の友達が10年ぐらい前に体験したことだが、運転士が自分の勤務時間が終わったため帰ってしまい、代替の運転士がその駅にいなかったので、隣の駅からその人がやって来るまで、電車が立ち往生した(もちろん乗客も)、というウソのような本当の話があったことがある。これは、恐らくシドニーで一番忙しい上記のセントラル・ステーションで起こったことだ。 そもそもその日は電車が軒並み遅れていて、その電車は前の電車がつかえていたために、セントラルで予定外の待機。その間に本来は先の駅まで行って交替、その日の仕事を終えるはずだったその電車の運転士さんの勤務時間切れとなってしまい、その人はサッサと仕事を上がってしまったのだ。あり得ない!と、日本でだったら大炎上するところだが、とにかく労働者の権利保護に熱いオーストラリア。バックアップ体制がなってなかった鉄道運営会社や州政府への苦情はあっても、その運転士さんを責める論調はあまりなかったように記憶している。実際このトラブルも、電車が"ちゃんと"走っていれば、起こらなかったものだ。

 このような「なぜ?」「あり得ない!」ということを度々経験して、私は、なぜオーストラリアの交通システムは極々普通に機能しないのか…。日本程複雑な交通網を持っているわけではないのに、何故うまく回らないのか…。これはオーストラリアの七不思議の一つだ、と思うようになった。そして、日本から時刻表作成、人員のシフトも含めた、オペレーションのノウハウを少し学んだら良いのに、と。もちろん、日本でだって電車やバスは遅延するし、その他のトラブルも起こる。でも、その次元が明らかに違うのだ。昨年来日したニュー・サウス・ウェールズ州のグラディス・ベレジクリアン州首相があるスピーチでいみじくも述べたように、オーストラリアから見ると、日本の交通システムは「別世界」のものなのだ。彼女は自らが州の交通大臣だった時にも来日しているので、実感の篭った発言だったのだと思う。
 私は交通システムについての専門的な知識を全く持ち合わせていないけれど、特にシドニーの今の混乱を見ていると、もう何年にも亘って都市計画が後手後手に回ってきていることが一番の原因なのではないか、と感じる。私が1970年代にシドニーに住んでいた頃は、郊外の家からシドニー市内への通勤に自家用車を使うのは極自然なことだった。私の父も当たり前のように車通勤をしていた。その頃はシドニーの人口がこんなに増え、車通勤が難しくなり、公共の交通機関の役割が増すことになるとは誰も想像出来なかったのかもしれない。
 これは飽くまでも噂で聞いた話だが、70年代に日本の商社がNSW州政府に、シドニー市内からハーバーブリッジを渡って、東へ走る電車を建設する提案をしたことがあった。しかし、シドニーはそんなに人口は増えないから必要ない、と州側は断ったというのだ。さもありなん。確かにあの平和な70年代のシドニーにどっぷり漬かっていたら、その先に他の国際都市と同様の交通システムの問題が待っているとは想像しにくかったのも頷ける。
 そんなシドニー。交通事情改善のために現在目抜き通りのジョージ・ストリートを拠点に新しいライトレイルと言われる路面電車の建設を急いでいるが、完成時期が既に2度に亘って延期されているのらしい。また昨年11月に導入された新しい電車の時刻表が不評とのこと。そのことが原因で年明けから労使の賃金交渉が難航していて、一時は29日の月曜日に鉄道労働者のストが計画されていた。ただでさえ既存の電車や駅は、増え続ける乗客の数に耐えられなくなって来ているのに、ストが決行され、電車の本数が減らされれば、更なる混乱は避けられない、と連日メディアが取り上げていた。取り敢えず一旦ストは回避されたそうだが、賃金交渉はまだ妥結していないので、通勤客が悲鳴を上げる日が近々やってきてしまうのかもしれない。

スト回避もダイヤ正常化には時間がかかると報ずる[メディア](2018年1月25日付ABC News・スクリーンショット)

 このようなオーストラリアの交通システムの事情があるものだから、ターンブル首相が丸ノ内線に乗る姿を見て、上記のようなセリフが口をついて出てしまった。交通システムについては各州政府の担当とは言え、シドニーにいる時には好んで公共の交通機関で仕事場へ出向くターンブル首相。

一般乗客Jordan Guiao氏の2016年3月30日のツイート(スクリーンショット)

 丸ノ内線の車内で首相の胸の内に去来したことを聞いてみたい気がする。



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Yoko Harada

原田容子: オーストラリア・ウオッチャー。子供時代の一時期を父親の転勤にてシドニーで過ごす。以来オーストラリアとの交流が続き、2003年にそれまでの会社勤めを辞め、シドニー近郊のウーロンゴン大学に留学。修士号、博士号(歴史・政治学)取得。在メルボルンのディーキン大学で研究フェローを務めた後、2013年帰国。外務省の豪州担当部署に一年勤務。現在は個人でオーストラリア研究を継続する傍ら、大学で教える。