ユーカリがそびえる墓地

 昨年、オーストラリアに春が来たことを告げる、国花ゴールデン・ワトルの話を書いてから、早くも季節が一巡してしまった(「春が来た!春が来た!」)。そろそろあちこちで黄色い花を咲かせ始めているのではないかと思うが、一方でオーストラリアの夏の“風物詩”でもある山火事「ブッシュファイアー」も既に起こっているらしい。つい先日、ニューサウスウェールズ州の北部に在住する友人から、最近家の近所で2件のブッシュファイアーが発生し、昼なお煙で空が薄暗く怖かった、という話を聞いた。
 そのブッシュファイアーの起こる林、“ブッシュ”は、まだ人の手の入っていない未開の地という意味合いもあり、オーストラリアの人たちのアイデンティティにも強く結びついている。そして、そのブッシュに多く生えているのが「ユーカリ」だ。

メルボルン「フォークナーパーク」にて(2017年2月24日撮影)

 そのスーッと空に向かって伸びている姿は実に美しいが、ユーカリには燃焼を促すオイルが含まれていることから、正に恐ろしいブッシュファイアーの原因ともなる植物である。ちょうどこんなユーカリの美しさと怖さを同時に描いた風刺漫画がフェイスブックに掲載されていたのは、ブッシュファイアーの季節が近づいたからだろうか。

Michael Leunig作(「その美しさ、その脅威」:スクリーンショット)(注①)

 そのユーカリ、一口にユーカリ、と言っても、ザッとネットで調べると700だか800だかの種類があるのだそうだ。2月にキャンベラを訪れた際に、初めて同地の植物園に寄ってみたが、ちょうど園内のユーカリを辿って歩くコースが設定されていて、そのコースに沿って歩き、様々なユーカリの木を、隣りに設置された看板に記載されている名前を確認しながら眺めて来た。

Angaphora costata

Corymbia calophylla

学名なので何だかとても難しいが、いずれもユーカリだ。見かけはもちろん、分布の場所も広いオーストラリア大陸のあちこちに分かれていて、一言でユーカリと言えども、かなり多様であることがよくわかる。

 このオーストラリアを象徴する木ユーカリは、日本でもお目にかかることが出来る。恐らく元々は種をオーストラリアから持ち込んだのだろうが、とても乾いた大地に生える植物を、こんなにウェットな日本で植えようというのだから苦労もあったらしい。ある場所では手を掛け過ぎて、ユーカリが枯れてしまった、という話を聞いたことがある。
 手を掛け過ぎて枯れるとは、やはり植物が元気に育つ風土というのがそれぞれあるのだなぁ、と気づかされるが、私が最近日本でユーカリをチラリと見たのは多摩動物公園だ。多摩動物公園はカンガルーはもちろん、タスマニアン・デビルなどオーストラリア固有の動物を多く飼育していて「オーストラリア園」まで設置しているが、そこで暮らしているコアラのタイチのお食事タイムに遭遇し、餌となったユーカリを見た。

食事中の多摩動物公園のコアラ「タイチ」(2017年6月9日撮影)

 何でも多摩動物公園では、園内で少し栽培をすると同時に、日本各地の農家さんにも依頼して、餌のユーカリを栽培してもらっているのだそうだ。
 また、メルボルン郊外のホワイトホース市と1971年来姉妹都市関係にある千葉県松戸市にもユーカリの木が植えられている。松戸市に最初にユーカリの木がやってきたのは古く1960年。その2年前に市内の女子中学生がオーストラリア大使館にユーカリの種を下さい、との手紙を書き、大使館がそれに応えたのだそうだ。校内に植樹され、今でも同じ場所に立っているらしい。
 更に1969年に市が町の緑化を図った際に、市の各所にユーカリが計画的に植えられたのだとか。その時にもオーストラリア大使館が協力し、その縁でホワイトホース市と友好関係が出来たのだそうだ。

松戸市のホームページから(スクリーンショット)

 松戸市には「ユーカリ交通公園」という施設もあり、ユーカリととても縁の深い町となっている。

 そして、もう一カ所、東京から近いところでユーカリを見られるのが横浜市保土ヶ谷にある「英連邦戦死者墓地」である。

 保土ヶ谷駅からバスに乗り、住宅街の中にある「永田台公園前」で降りて少し歩くと、この墓地の門が突然見えて来る。その門の脇に一本のユーカリの木がそびえている。

 閑静な住宅街の中に埋もれるように存在しているその墓地には、第二次世界大戦中に旧日本軍の戦争捕虜となり、日本各地で使役され、無念にも異国の地で亡くなってしまった英国連邦の兵士、及び米国とオランダの兵士たちが、戦後この地に集められ埋葬されている。また、戦後占領軍の一員として日本に駐留していた際に亡くなった兵士、また朝鮮戦争の犠牲者も埋葬されている。

英国兵が埋葬されている区画(2017年8月10日撮影)

 英国連邦の一員であるオーストラリアの兵士たちもここに眠っているが、以前に書いた元戦争捕虜チャールズ・エドワーズさんは、2013年の来日時にこの地を訪れている。エドワーズさん自身は終戦直後に帰国が叶った人だったが、やはり彼の友人が日本で命を落としており、その友人の墓標をお参りされた。
 広大な墓地内は国別にいくつかの区画に分かれているが、エドワーズさんが訪れたのは、もちろん「オーストラリア区画」。そこへ足を踏み入れると、正面のメモリアルの十字架の脇に、墓地の門のところと同様、ユーカリの木が高くそびえているのが見える。

 私がこの墓地を初めて訪れたのはちょうど10年前の残暑厳しい9月だった。留学中だったオーストラリアから一時帰国をしていた時に行ってみよう、と思い立ち、電車とバスを乗り継いでやっと辿り着いた。とにかくあまりにも暑いので、まずは木陰を探し、持っていたペットボトルのお茶を飲むのに顔を上げたところ、そこに大きなユーカリの木がそびえているのが見えたのだ。何だか一気に“里心”がついて、早くオーストラリアへ戻りたいと思ったものだ。
 外国人の私でも、オーストラリアに対して強い思い入れを持っていると、特別な郷愁を誘うユーカリの木。異国の地で倒れた兵士たちを見守るのに相応しいオーストラリアのアイコンではないだろうか。カウラの日本人墓地近くには桜が植えられているのと同じことだろう。

 毎年8月は、日本では先の大戦の犠牲者を悼み、戦争というものについて考えさせられる月だ。これは日本に限らないことだが、戦争の犠牲者を追悼する際には、自国の犠牲者たちのみに目が行きがちだ。しかし、戦争は敵味方関係なく、双方に悲劇をもたらすものだ。そのことを実感してこそ、その先の平和のことが考えられるような気がする。

戦争が終わったことが日本国民に告げられた日に亡くなった兵士の墓標

 この墓地は日本国内にありながら、そのことを教えてくれる貴重な場所だ。横浜と言えば港の見える丘公園にある「横浜外国人墓地」が有名で、内外の観光客が訪れる地となっているが、このもう一つの横浜の外国人墓地のことも、もう少し広く知られるようになればいいな、と思う。


【注①】マイケル・ルーニグ(Michael Leunig)はオーストラリアで著名かつ人気の思想家、コメンテイター、画家であり、また詩人でもある。シドニーモーニングヘラルド紙などに風刺漫画を発表。



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Yoko Harada

原田容子: オーストラリア・ウオッチャー。子供時代の一時期を父親の転勤にてシドニーで過ごす。以来オーストラリアとの交流が続き、2003年にそれまでの会社勤めを辞め、シドニー近郊のウーロンゴン大学に留学。修士号、博士号(歴史・政治学)取得。在メルボルンのディーキン大学で研究フェローを務めた後、2013年帰国。外務省の豪州担当部署に一年勤務。現在は個人でオーストラリア研究を継続する傍ら、大学で教える。