先回のブログを書いてから、随分と時間が経ってしまった。3月に続いて直ぐにオーストラリアの新型コロナウイルスの様子をレポートしようと思っていたが、なにせオーストラリア発に限らず、ニュースが新型コロナ感染拡大の話一色になり、どのトピックを取り上げるべきか大いに悩む事態に陥った。そうこうしている内に、私が春学期非常勤講師を担当することになっていた大学2校でも遠隔授業で一学期を乗り切ることが決まり、その対応と残務処理に四苦八苦している内にあっという間に9月になってしまった。
その間のオーストラリアの新型コロナ禍の状況はと言えば…
お隣のニュージーランドのケースが日本でも成功例としてメディアに取り上げられたほどではないが、当初オーストラリアはこのウイルスの国内での感染拡大阻止にそこそこ成功しているように見えた。始まりは夏休みを利用して故郷の中国を訪ね、その後オーストラリアへ帰国した人や、彼らと一緒にオーストラリアを訪ねて来た家族に感染が確認されたケースだった。その後、ヨーロッパでの感染拡大を受けて、ヨーロッパからの帰国者、訪問者に感染者が確認されるようになった。それが正に「第一波」だったのだろう。オーストラリアでは健康・保健の問題は州政府が主導権を持つため、具体的には州政府が対応するが、連邦政府はスコット・モリソン首相を中心に各州の州首相が集う「ナショナル・キャビネット」を3月中旬に立ち上げて、その後現在に至るまで、各州間の意見交換、対策の協議などが行われている。
その間メディアを特に賑わせたのは二隻のクルーズ船だ。一隻はもちろん日本が舞台となった例の「ダイヤモンド・プリンセス号」だ。あの客船にはオーストラリア人も多数乗船していたので、日々の船内の様子、日本政府の発表、オーストラリア人の感染者の数、オーストラリア政府の対応、そして同政府がしつらえた航空機で帰国する人たちの様子、政府のルートは拒否し、別の方法で帰国を試みる人のことなどが随時報道された。
船に隔離されてしまった人たちは携帯を使える環境にはあったため、オーストラリアのメディアが彼等のツイッターなどの書き込みを追い、連絡、リアルタイムで電話やビデオインタビューを敢行して、客船内の隔離生活について生の声をラジオやテレビが伝えたりもしていた。
そのダイヤモンド・プリンセス号“事件”から少し遅れて、今度はオーストラリアにおけるクルーズ船問題が勃発した。3月後半「ルビー・プリンセス号」がシドニー港に寄港し、乗客を下船させたのだが、乗客の中に新型コロナウイルスに感染している症状を示していた人が複数いたにも関わらず、全員を感染有無のチェックなしでオーストラリア国内へ入れてしまうという手違いが発生したのだ。多くのオーストラリア人はその足で国内各地の居住地へ帰って行った訳で、結果彼らがウイルスを各地に運ぶ形になってしまった。最終的にその人たちの中から662名の感染者と28名の死亡者が出、当時としてはオーストラリアでは最大のクラスターになったことから、この一件については、その後、どこでどう間違って乗客がフリーパスで上陸、入国出来たのかを検証する調査委員会が立ち上がる騒ぎにまで発展した。
その騒ぎも徐々に収まって行き、一時期オーストラリアは新型コロナ対策優等生のお隣のニュージーランドと、二国間の旅行を大いに促進しようという話し合いに入っていた。(日本のGo Toトラベルキャンペーンの豪NZ版、と言えばわかりやすいか?)モリソン首相もとても乗り気で、二国はタスマン海を挟んでいることから「トランス・タスマン・トラベル・バブル」などと称され、経済の停滞が懸念される中で、その活動を通常モードに戻していくための明るい材料として注目を集めた。
その雲行きが怪しくなったのは6月末頃だ。ホットスポットはヴィクトリア州。ヴィクトリア州の州都で、オーストラリア第二の都市、メルボルンを中心に感染者数がジリジリ増え始め、遂に7月6日発表の一日の感染者数が168人、と新型コロナウイルスの感染が広がり出してから、最も多い数となってしまった。
州政府は即座にメルボルンと郊外の一地域に、家を出られるのは、食料品やその他の必需品の購入、他人のケア、運動、(リモートで出来ない場合)仕事、学校へ行くこと、以上の4つに当てはまる場合のみ、となるステージ3の「Stay home」の行動規制を掛けることを発表した。その後、オーストラリアではずっと市民の間では抵抗感があったマスクの着用が義務付けられ、少しでも風邪のような症状がある人は、とにかく検査を、と呼びかけ、一方でミステリーケースと言われた、感染源が不明な感染者の感染ルートの徹底究明に力が注がれた。
しかしそれでは充分ではない、と判断し、8月3日の深夜から、メルボルンはステージ4、それ以外のヴィクトリア州全体にステージ3の行動規制が6週間適用されることになった。また夜間の外出禁止令も出された。9月に入り、二度とロックダウンに逆戻りしないために、とその行動規制の期間が2週間延長されることになって、メルボルンの知人たちからは大きな溜息が聞こえて来た。心中察するにあまりあるが、しかし、ヴィクトリア州の感染者数の変化を追っていると、州政府の政策が効いている、ということがシロウトの私にもよく見える。8月4日には最大の687名の感染者数を記録したが、そこをピークに感染者数は確実に減少して来ていて、9月11日には37名にまで下がっている。
このヴィクトリア州の新型コロナウイルス対策の先頭に立っているのは、州首相のダニエル(ダン)・アンドリューズだ。アンドリューズは、私がメルボルンを去った後の2014年に州首相になった人ということもあり、あまりこれと言った印象がない人だったのだが、ここに来て強い指導力を発揮している。それが東京にいる私にもよく見えるのは、彼の日々の記者会見の模様がFacebook上で実況中継されているからだ。実はアンドリューズは7月3日から土日も含め一日も休みなく会見に立ち続けていて、こちらも昼前にアンドリューズの記者会見の模様を視聴するのがすっかり日課になってしまった。
とにかくどんな時にも休暇を大切にするオーストラリア人。金曜日の午後は働いてないも同然ではないか、と思われる職場も見て来たし、主要メディアだって少し前まで土日にはウェブサイトの更新がほとんどなされていなかった。そのようなお国柄のオーストラリアで、何週間も全く休みを取らずに、というのは異例中の異例な事態だ。さすがに連続50回目の会見を迎えた8月21日には、メディアにそのことが取り上げられ、市民からも最近ダンは疲れているように見えないか?少し休暇を取ればいいのに、という声も上がった。
そのような声をSNS上で見ていて、思わずあの東日本大震災の時の、民主党枝野幸男官房長官の連日の記者会見を思い出したのは言うまでもない。あの時はツイッター上で「#枝野寝ろ」というハッシュタグがトレンディングしたが、「#ダン寝ろ」とか「#ダン休め」というハッシュタグが立ち上がるのでは?と思われるムードをネット上で感じた。
それでもアンドリューズは、これは自分の職務だから、と今も毎日会見に出て来て、記者たちから繰り出される質問に最後の一問まで粘り強く答えている。数人の大臣や専門家なども同席し、専門度の高い話は彼等が、政策決定に関わる問題についてはアンドリューズが答える。1時間で終われば早いくらいで、毎日1時間半は延々会見をやっている。
もちろんロックダウンの政策に懐疑的な記者もいるし、そもそも市中感染が広がってしまったことの責めを州首相に負わせようとする者もいる。彼が所属する労働党とは立場を異にするメディアの記者には、今それを聞くか?というような政局絡みの質問をして来る記者もいる。
会見を毎日見ていてい面白いのはFacebookに書き込まれる記者会見を同時に視聴している人たちのコメントだ。ロックダウンなんて必要ない、と感じている市民は「ダン、辞めろ!」とか「次の選挙では落としてやる」などいうきつい書き込みをしているが、もちろん擁護派も多く、「ダン、応援しています!」とか、批判的なコメントを書く人に対して「ダンは科学に基づいて判断をしているのよ!」と噛みつく人、またしつこい記者に対して「ハイエナめ」と怒っている人もいる。
果たしてヴィクトリア州が採っている政策が本当に正解なのかどうかはわからない。これで見事に感染者数は0に近い数字が続く形になったとしても、行動規制で打撃を受けた経済はどうなるのだろうか、という疑問は湧かなくはない。それでも毎日のアンドリューズと彼のチームの会見を見ていると、きちんと科学、データに基づいて、その時最良だと思われる政策を取っているのだ、ということがとても良く見える。
特に、今回会見に同席するようになって、あら、男前だわ!と一部で妙な人気が出てしまった州の保健衛生官(Chief Medical Office)のブレット・サットン教授の言葉は、ソフトだが自信に満ちている。そしてその言葉の根拠の説明が明快になされるので、聞いている方は(特にシロウトは)なるほど、と思わされるのだ。
話を聞いていると、アンドリューズ州首相の今の第一の目標は、例年と全く同じとは行かないけれど、少しでも普段の状態に近いクリスマスをヴィクトリア州の市民に迎えてもらうことだ、と私には思える。クリスマスはオーストラリアではちょうど夏休みの期間に当たり、その辺りから1月末くらいまでは国中がリラックスする時期だ。と同時に家族、親戚、友人が集う時期でもある。その意味でも人と人が離れているのが一番の予防というウイルスは実にやっかいな相手だ。
二ヶ月に亘るロックダウンに市民が飽き飽きするのはよくわかる。ずっと家にいなければならず、メンタル面を病む人も増えていると言う。しかし、今もう少し自由な行動を押さえることで、クリスマスに少しでも人が集まることが出来るなら…。当事者でない者があれこれ言えることではないと思うけれど、今がきっと正念場。メルボルンにエールを送りつつ、しばらくは毎日のアンドリューズの定例記者会見をウォッチして行きたいと思う。