2月、一年ぶりに現地の様子を見にオーストラリアへ行っていた。いつもは東京からシドニーへ入るが、今回は成田からブリスベンへ入った。10℃を切る寒さの東京から、一気に晩夏、と言いつつ、30℃近い気候に放り込まれた身体はビックリしたのではないかと思う。
ブリスベン・サウスバンクを対岸から臨む
そんな私をチェックインしたブリスベンのホテルで迎えてくれたのは、このポスターだった。
そうだ、そうだ、春節…Chinese New Yearだったなぁ、と思い出した。
以前ブログ「申年徒然」で、オーストラリアでも春節が祝われていて、結構自分の干支を知っているオーストラリアの人たちが多い話を紹介したことがあった。その後、春節は年々オーストラリア社会でのプレゼンスが高まり、認知度が上がっていっている。
今年の春節は2月14日。奇しくもバレンタインデーに重なったのだが、今回の道中そこここで「CYN」(Chinese New Year)の表示や装飾を見かけ、テレビでもしょっちゅう春節関連のニュースが流れていた。
獅子舞練習のレポート(2月16日付、ABCニュースウェブ版・スクリーンショット)
「狗」のデザインがナイスなブリスベン市内のお酒屋さんのポップ
また、世界的に見ても最もマルティカルチュラルな町、と言われるシドニー郊外のフェアフィールド市のカブラマッタを私が訪れたのは偶然2月14日だったのだが、39℃の熱風が吹く中、新しい年の訪れを祝う横断幕やバナーがはためいていた。
カブラマッタは中華系やベトナム系の住民のプレゼンスが特に目立つ町で、春節も地元にとって大切な行事の一つなのだ。
そして、その続きの週末にオペラハウスとハーバーブリッジがアイコンのシドニーのサーキュラーキーへ行ってみたら、なんと春節関連のデコレーションでひどく賑々しいことになっていた。埠頭のフェリーの船着き場やオペラハウスの近辺に、巨大でカラフルな十二支のモニュメントがそびえていた。
「戌」
「丑」(これが麻雀パイとわかる人はどのくらいいるのだろうか…。)
これらが実は「ランタン」で、夜になると明かりが灯ったことは後々知った。
春節祝賀イベントの初日の模様
更に埠頭の周りには「犬」をモチーフにしたバナーがズラッと掲げられていた。
背景に見えるのは「申年」のランタンか
何となく洋犬だと、戌年の犬に見えない…
ここまで来ると、「春節」モードに圧倒されて、私にはちょっと騒ぎ過ぎのように思えてくる。その騒ぎを見ていて思い出したのだが、10年ぐらい前だったか、シドニー市がそれまで長年行って来た市内のクリスマスの装飾を取りやめたことがあった。多文化都市シドニーで、特定の宗教のイベントに多額な税金をつぎ込むのは如何なものか、というのが理由だった。シドニーには当然キリスト教徒でない人も住んでいるのだから、その人たちにも"配慮"を、という趣旨だった。
一理あると言えばあるようにも思うが、その決定はクリスマスを祝うのは当然と思っている多くの市民から多文化主義の履き違えだと批判をされた。またその時他文化として特に焦点が当てられていたイスラム教徒の人たちからも、特にクリスマス装飾を不快に思ったりしない、という、これも至極当然の反応があったりもし、何かすっきりしないムードを残して、その年のクリスマスは過ぎて行った。そういった批判を浴びたからかどうかはわからないが、シドニーのクリスマス装飾は今は復活をしている。
このシドニー市の姿勢に表われているように、多文化社会オーストラリアでは、他文化に対するリテラシーを上げることが重視される。春節に多大な関心を示し、その認知度向上に社会を上げて取り組もうとするのは、それが正しい方向だと広く認識されているからだ。もちろんそこにはオーストラリアの人たちの純粋な多文化理解・受容の姿勢、他文化の人たちへの配慮が現われていると思うが、同時に自分たちは他文化に対して正しい態度を取っているんだ、という一種の自らへの担保の側面もあるように私には見える。
しかし、言うまでもなく、他文化の理解、受容というのはそれほど容易いことではない。今回オーストラリアで春節のことを報道するニュースを見ていて少々引っかかったのが、春節のことをアジアで一番大切なイベント、と紹介をしていることが度々あったことだ。アジアの片隅の"小国"に暮らす人間としては、アジアの国であっても、特に春節を祝わない国だってあるのに、と少々モヤモヤ感が湧いてきた。
以前、メルボルンに住んでいた時に、近くの八百屋さんの顔見知りのおねえさんとこんな面白い会話をしたことがある。ある日、いつもと同じように買い物に行き、レジで彼女と顔を合わせたら、いつもの愛想の良い「ハーイ」という声掛けに続いて「今日は二日酔いなんじゃないの?」といたずらっぽい表情で言われたことがあった。一瞬何のことかわからず、「え?どうして?」と聞き返したら、「あら、だって昨日はChinese New Year's Dayだったから、祝宴があって飲んだんだろうな、って思ったから」という返事が返って来た。
あぁ、私、きっと中国人に間違えられてたんだなぁ、と思い、「あ、私、日本人だから…春節は関係ないの」と返答した。そうしたら、おねえさん、え?とちょっとビックリした顔になって、「あ、いや、春節ってアジア全体でお祝いしている行事だと思っていたから…」と言って来た。ちょっと罰の悪そうな顔だったのは、恐らく私の民族バックグラウンドを常連客にも関わらず誤解していて、しまった、と思ったからだろう。向こうに住んでいると、中国人にはもちろん、タイ人とかインドネシア人とかアジア系オーストラリア人とかいろんな民族の人に間違えられるので、私自身はそのことはあまり気にしていなかったのだけれど。
「日本は19世紀末に西洋(グレゴリオ)歴を採用してから、西洋歴の1月1日にNew Year's Dayを祝うのよ」と教えてあげたら、「そうなんだ…」と神妙、かつ微妙な顔をして聞いていた。そこからしばし明治時代に日本が辿った「脱亜入欧」の道についての"ミニ講義"をしたことは言うまでもない。
春節を見て、アジア全ての文化が語れるわけではない、ということに象徴されるように、文化、というのは実に複雑なもので、一言で定義出来る物ではない。オーストラリアのように"他文化"を理解しよう、受容しよう、と一歩踏み出すと、更にその先に次々と文化の多様性、複雑性が現われて来る。
文化の複雑性は、それが一枚岩のように信じている人たちの多い日本のような国でも当然だが存在する。今回のトピック「春節」についても、あの時「私は日本人だから関係ない」と八百屋さんのおねえさんには言ったけれど、それはあくまでも「私は」、である。今回このブログを書くに当たって調べていたところ、沖縄県の一部では今でも旧暦に沿って新年を祝う風習があるということに行き当たった。"日本文化"でさえ一括りには出来ないことの証明だ。
そして更に多文化社会作りが難しいなぁ、と私が感じるのは、複数ある"他文化"をどう平等に扱えばいいのか、ということだ。つまり、例えばもしオーストラリア在住の日系人コミュニティが、日本は西暦の1月1日にお正月のお祝いをするので、Chinese New Yearのお祝いと同じように行政や私企業はイベントを行い、メディアは大々的に取り上げて欲しい、と言い出したらどうするのか。その他の国も同様にその民族グループにとって大切な日に特別な行事を、とそれぞれ主張し出したらどうするのか…。
それぞれの民族グループにとって一年の内で大切な日を全てカレンダーに落して込んで行ったら大変な数になってしまうだろう。かと言って、中華系の民族バックグラウンドの人たちほど人数がいない、つまり社会におけるプレゼンスが低い、ということで取り上げない、ということになると、それはマイナーな民族グループへの不公平になるだろう。
それを考えだしたら夜も眠れない…、なんていうことはないが、これは端的にフラットな関係の多文化社会の形成の難しさを表わしているのだと思う。そういう現実に日々直面しているのが実際多文化で構成されているオーストラリア社会だ。そのことを派手な春節の装飾にあちこちで出くわしながら、今回改めて考えさせられた。日本に住む者が学べることはやはり多いオーストラリアである。
ウーロンゴンのショッピングモールの装飾