メルボルンの郊外にボックスヒル(Box Hill)という街がある。市内から東へ延びている109番のトラムの終着点であると同時に、電車の駅、そしてバスのターミナルがある。車社会のオーストラリアは公共の交通機関の整備がイマイチで車がないと苦労するのだが、ボックスヒルは車がなくても移動に関してほとんど困ることなく暮らせる街である。
そのボックスヒルのすぐ隣り、ボーウィン(Balwyn)に私が移り住んだのは、ちょうど6年前。メルボルンにあるディーキン大学へ就職するために引っ越したのだが、そもそもその辺りに住むことになったのは、メルボルンの右も左もわからず家探しに苦労している私を見て、メルボルン出身のウーロンゴンの先生が、ボックスヒルはマルティカルチュラルな街だから、その辺りに住むのがYokoにはいいんじゃない?とアドバイスをくれたことがきっかけだった。結果、勤務先へはトラムとバスを乗り継いで通いやすく、ターミナル駅であるボックスヒルはショッピングセンターも充実していて、非常に買い物も便利で、その先生のアドバイスは大当たりだった。
ただ、ボックスヒルは多文化の街よ、というコメントは、ちょっと真実とは異なっていた。ボックスヒルは多文化の街ではなく、チャイナタウンだった!そう、とにかく中国系の人たちが多い街だったのだ。
ボックスヒルは以前はギリシャ系の移民の人たちが多かったが、段々その人たちは別のエリアに散って行き、その後特に香港出身の中国系の人たちが増えた、というようなことを聞いたことがあるが、ショッピングセンターや駅周辺は中華料理店や食料品店はもちろんのこと、中国の銀行や書店の支店もあり、中国系の美容師さんが働く美容室や、医者、弁護士事務所などが溢れ返っているところだ。
メルボルンやシドニーの中華街のように、街の一角に中国オリジンの人たちがその民族性に特化した街を形成した、という作りではなく、例えばショッピングセンターのコアの部分は、オーストラリアのどこにでもある地場のスーパーやカフェ、雑貨店、衣料品店、雑誌屋などで構成されているのだが、とにかく客もサービスする方も圧倒的に中国系、そして他のアジア系の人たちが多い街なのだ。
そんなメルボルン郊外の街が、先日ちょっと全国区でニュースになった。何でもボックスヒルにある税務署のオフィスに“しゃがみ込み式”のトイレ(squat toilet)、つまり、日本で言うところの“和式トイレ”が二つ設置された、というのだ。
“しゃがみ込み式トイレ”(デイリーメイル紙より)
報道によると、ボックスヒルの税務署で働く人たちの20%が英語を母語としない人たちで、その人たちのニーズに対応した、とのこと。この英語を母語としない、というのは、要は非西洋、アジア系の人たちのことを指しているのだが、何でも以前にキャンベラの税務署でアジア系の人が洋式トイレなのにその上に上ってしゃがみ、用を足し、トイレが汚れることが度々あったらしい。今回、新しくなったボックスヒルの税務署ではキャンベラでの教訓を生かして、アジア系の人たち対象の便器を設置することとなったらしい。
洋式のトイレの便座に足を掛けて、上って、しゃがんで用を足す、というのは、何とも想像しただけで危なくって、私は真似出来ないが、かなり身体のバランスが不安定だろうから、まぁ、結果トイレが汚れてしまう、ということは容易に想像出来る。そう言えば、最近日本のトイレでもこのような注意図を見かけることがある。
この写真はネット記事に引用されていたものだが、趣旨は日本のものと全く同じ。洋式のトイレは、便座に座って用を足して下さい、という注意書きだ。こういう注意書きが国を越えて存在するということは、実際私の目から見ると危なくって出来そうもない洋式トイレの使い方をしている人たちがいる相当数いる、ということだ。
話を元に戻すと、今回のボックスヒルの“しゃがみ込み式トイレ”の導入に噛みついたのが、7月の総選挙で18年ぶりに国政に返り咲いたポーリン・ハンソンというクイーンズランド選出の議員だ。彼女は1996年から98年まで下院議員を務めた人物だが、オーストラリアの国是である多文化主義政策を真っ向から批判。議会での初演説でオーストラリアはこのままだとアジア人に飲み込まれてしまう、多文化主義政策は廃止すべきだ、という今でもオーストラリア人の間では非常に有名なセリフを吐き、“極右”とも称される超保守的、排外主義的な人物である。
(シドニー・モーニング・ヘラルド紙より)
これは70年代半ばからオーストラリアが推し進めて来た多文化主義政策に対するバックラッシュと解説されたが、結局2年で彼女は政界からは消え、その後もいくつか地方選挙などに出たがいずれも落選、最近はテレビのリアリティショーに出るぐらいで、時々名前を聞くくらいだった。それがなんと今回の選挙で再出馬。今度は上院に選出された。今回はアジア人もさることながら、最近世界的にも問題化しているムスリムの人たちの移民・難民としての受け入れ問題を攻撃の対象にしている。
その彼女が8月頭に目をつけたのが、ボックスヒルの“しゃがみ込み式トイレ”導入だった。よくそんな自分の地元からは遠い、地方の街の話に気づいたものだと思うが、自身のフェイスブックに動画をアップして、このボックスヒルの税務署の判断を批判した。彼女曰く、これは金の無駄遣いである。加えて、オーストラリアにやってきて、洋式トイレの使い方もわからない人が、どうやってオーストラリアの税金に関連する業務をこなし、オーストラリア人にまともなアドバイスをすることが出来るのか、と。
「Pauline Hanson’s Please Explain」より
ここで既に失笑してしまうが、大いに本気である彼女や彼女に賛同する人たちのコメントを読んでいくと、“しゃがみ込み式トイレ”、すなわち非洋式トイレの導入は、最終的にはAustralian way of life(オーストラリア流の生活)が侵害されることに通じる、と感じていることがわかる。そして、彼らの主張に一貫しているのが、“しゃがみ込み式トイレ”は洋式トイレよりも“文明度”が低い、という認識で、“しゃがみ込み式トイレ”を導入するなんて、我々は“野蛮”に逆戻りするのか?と言ったコメントが寄せられている。
何を隠そう実は私も少し前まで、トイレに関しては洋式の方が優れていると信じていた。実際日本ではどんどん和式から洋式への移行がなされていった訳だが、しかし駅のトイレなどで綺麗に改装しても、和式がいくつか残されているところもあることで思い至ったのは、洋式トイレが必ずしも万人にとってベストのトイレなのではない、という当たり前の事実だった。つまり、昔から和式を使い続けて来たお年寄りの中には、あのスタイルに慣れていて、和式でないと、という人たちもいるだろう。そして、それよりも多いと思われるのは、公共のトイレは和式を好む、という人たちだ。洋式だと、他人が座った便座に座るのが不衛生、と感じる人が日本にはかなりいるらしい。その人たちの場合、家庭では洋式だが、外では和式を使用する、というスタイルなのだろう。こうやって考えて来ると、必ずしも“しゃがみ込み式トイレ”が遅れたスタイルのトイレではない、ということがわかってくる。
たかがトイレ、されどトイレ。この件、この後どんな展開を見せるのか非常に興味があるが、今回の一件で真っ先に思い出したのが、ウーロンゴン大学で一緒だったシンガポーリアンの友人の一言だ。我々が在学中に、大学がある棟のトイレを性の多様性に対応するために、ジェンダーフリーのトイレに改装することになり、ちょっとした論議を呼んだことがあった。その時に彼が、半分冗談、半分本気で言ったのが、ダイバーシティを考えるのなら、アジア式の“しゃがみ込み式トイレ”も導入すべきだよね、ということだった。その時は笑って終わってしまったが、今回のニュースに接して、あの彼のセリフはなかなか含蓄があったのだ、と気づかされた。
何度もバックラッシュに遭いつつも、オーストラリアは多文化主義を推進してきており、逆戻りすることは不可能なところまで来ている。そうだとしたら、“しゃがみ込み式トイレ”も“Australian way of life”の一部になってきた、ということが言えるのかもしれない。“Australian way of life”が不変ではないということを理解していない“ポーリンとその仲間たち”にはわかりづらいことであろうが。