2月の渡豪時、珍しく成田からブリスベンへ入るカンタス便に乗った。いつもはシドニーへ入るのだが、近年新設された羽田発のシドニー便は、成田発のブリスベン便、メルボルン便より高いし、この機会にシドニーよりブリスベンからの方が近い町を訪ねてみようと思ったからだ。その町の名前はバラナ(Ballina)。ニュー・サウス・ウェールズ州北東部の町で、クイーンズランド州との州境近くにある。州境近く、と言っても、ブリスベンからでも長距離バスで6時間ほどかかるが、シドニーまでは約12時間の距離にある町である。
このバラナという町を数年前から一度訪ねてみたいなぁ、と思っていた。目的は「ティートリーオイル」の里、Thursday Plantation(サースデー・プランテーション)訪問だ。それを今回実現することが出来た。
ティートリーオイルは、アロマセラピーに関心のある人たちには馴染みがあると思うが、ティートリーという植物から抽出される精油のことだ。そのオイルには高い消毒、抗菌の作用がある。
実はティートリーと呼ばれる植物は複数存在する。元々は1770年にキャプテン・クックが初めてオーストラリア大陸の東海岸を探索した際に、同行していた植物学者ジョセフ・バンクスと何種類かの植物の葉っぱを採取し、お茶が出せるかを試してみた。そこからそれらの植物がティートリーと呼ばれるようになったと言われている。その数種類あるティートリーの中でも、精油の質が高いのが「メラルーカ・アルターニフォリア」という学名を持つものだ。
Thursday Plantationはその精油を、1970年代に製品化して売り出し、成功した会社だ。
元々ティートリーはオーストラリアの先住民の人たちが何万年にも亘り、その薬効を利用してきた植物だった。ビジターセンターの一角に社史を伝える簡単な展示がなされていたが、そこの展示パネルによると、先住民の人たちは患部治癒のために、沸かした水にティートリーの葉を入れ、その液体を患部に付ける方法、あるいは、潰したティートリーの葉を患部に乗せ、その上から泥で押さえる方法で使用していた。
この先住民の知恵は入植者たちにも継承されていたが、1920年代にアーサー・ペンフォールドという科学者がティートリーを研究し、他の薬よりも何倍もの抗菌作用があることを科学的に証明した。それを機に、自生しているティートリーから抽出されたオイルが商品化され、販売されるようになった。何でも、第二次世界大戦時に出征したオーストラリア兵の救急箱には、ティートリーオイルが入っていたのだそうだ。
そのようにオーストラリアの人たちの常備薬となっていたティートリーオイルだが、戦後ペニシリン(抗生物質)や他の化学薬品が広く普及するようになり、徐々に脇に追いやられてしまった。その忘れられていたティートリーオイルの効能に1970年代になってから再び注目をしたのが、Thursday Plantationの創業者、エリック・ホワイトだ。ティートリーに可能性を見いだしたホワイトは、現在のThursday Plantationがある場所より南で、更に内陸に入ったところにあるバンガワルビン(Bungawalbin)という場所の土地をリースし、ティートリーを植えて行った。
干ばつや洪水に見舞われプランテーション作りが困難を極める中、ホワイトは病魔に倒れてしまうが、彼の想いを義理の息子クリストファー・ディーンとその夫人リンダが引き継ぎ、遂に1979年のイースターに、プランテーションの木からティートリーオイルが抽出出来たのだそうだ。因みに、会社の名前の由来だが、ホワイトはプランテーション開設に適している地として、公有地のバンガワルビンの土地に目を付け、リースを申し出るのだが、長らく許可が下りずにいた。そして、4年後の1976年にやっと申請が通ったのだが、その吉報が彼の元に届いたのが木曜日(Thursday)だったことから、社名をThursday Plantationとしたのだそうだ。
ディーン夫妻は当初地元の市場で売るなどして、ティートリーをPR。評判が評判を呼び全国に広がっていった。そして、製品も精油そのものだけではなく、精油を含んだ石鹸、ハンドクリーム、消臭スプレーなどなど、様々なヘルスケア製品を製造するようになった。オーストラリアの薬屋さんで、トレードマークの黄色いラベルのThursday Plantationの製品を見かけないことはまずない。
見事なラインナップだが、実はこの写真のように、Thursday Plantationの製品が一カ所に集約して並べられているお店は少ない。大抵種類別に、つまり、シャンプーはシャンプーのコーナーに、歯磨き粉は歯磨き粉のコーナーに、と分散して置かれている。だからThursdayの製品をいくつかまとめて買う目的で出掛けると、店内をグルグル探し回ることになって、結構疲れる。
因みに、ティートリーオイルは、日本ではアロマを扱うお店や売り場でひどく恭しく、オシャレな感じで並べられ、売られているけれど、オーストラリアではほとんどの場合薬局の「消毒薬(antiseptic)」の棚に並んでいる。一度、訪ねた知人の家の洗面台に、コロンと無造作に転がっているティートリーオイルの瓶を見かけたことがあるが、そのくらい普段使いの「薬」、という認識なのだろう。
このティートリーオイル、何に効くって、虫刺され、それも蚊に刺された時にむちゃくちゃ効くのである。刺された!と思って、すぐにティートリーオイルを塗ると、痒みが相当軽減され、翌日には痒みが消えている。そして、刺された跡も一日二日若干ボツっと赤くなってはいるが、通常よりもうんと早く消えていくのだ。蚊に刺されやすい私は、夏はティートリーオイルの小瓶を持ち歩くようにしている。(日本の蚊にも効果があるのだ!)
そんな“魔法の液”とも言えるようなオイルを産するティートリーが群生している環境を体験しに、バラナを一度訪れてみたいとここ数年思っていた。今回それが実現した。
ブリスベンから長距離バスでバラナ入りした翌日、Thursday Plantationのビジターセンターを訪れた。
建物の中にはバラエティに富む製品の販売コーナー、ティートリーや会社の歴史を伝える展示コーナー、そしてカフェがあった。
創業当初のティートリーオイルの瓶のパネル
オイル抽出のプロセスの説明と機械
そして、外に出ると、気持ちの良い芝生が広がり、その奥に家族連れで遊べるようなティートリーや他の植物を使って作った迷路と、散歩が出来るレインフォレストがあった。
レインフォレストの入口
元々このエリアにはレインフォレストが多くあったらしいが、開発が原因でどんどん壊されて行ったらしい。そのような中でほんの少し残っていたところをThursday Plantationが再生、維持しているのだそうだ。因みに、レインフォレストに入る直前には、このエリアには通常ではない数の蚊がいるので、長袖のものを着用し、虫よけを塗ってから入った方が良い、との注意書きが。
ビジターセンターの正にティートリーオイルを含有した虫よけのテスターを使って良い、ということだったので、それを拝借。ちょうど長袖のジャケットも持っていたので、かなりガードしてレインフォレスト体験をしたのだが、やはり顔など虫よけの塗布が不十分だったところを何か所か噛まれてしまった。結局、ビジターセンターでティートリーオイルの小瓶と、今後のために、と虫よけを購入することになった。よく美術館などで一巡りして来たところにグッズショップが設置されていて、ついついお金を落としてしまうことがあるが、それと似たような構図か。うまく出来ているものだと思った。
肝心のプランテーションだが、迷路とレインフォレストのエリアの先に、広々とティートリープランテーションが展開されていた。
そうか、これがプランテーションかぁ、という感想。考えてみれば、お茶のプランテーションとか、砂糖のプランテーションとかよく聞くし、写真では見たことがあったけれど、生でプランテーションというものを見たのは初めてだったかもしれない。壮観だ。
私は元来「ヒーリング」とか「癒し」とかいうことに対する感性がないし、感心もあまりないのだが、ティートリー、そして、ユーカリを含む様々な木々に囲まれると、何となくその場所全体がヒーリングスポットのように感じるから不思議なものだ。とても暑い日だったが、心なしかひんやり感じ、心地良かった。
やっと辿り着いた地だったし、好天にも恵まれて、何だか清々しい気分でThursday Plantationビジターセンターを後にすることが出来た。
ところで、バラナ。今回現地に行ってから、ティートリー以上に町のシンボルと認識されているものがあることを知った。それは「エビ」。バラナはエビ漁で有名な地だったのだ。最盛期よりも縮小してはいるらしいが、それでも「エビ」はバラナのご自慢の産品だ。町の入口辺りにはこのような巨大なエビのモニュメントがそびえている。
残念ながら、私は今回実物を見ることが出来なかったのだが、その代わりに、と言ってはなんだが、バラナご自慢のエビをいただいて来た。
やはりオーストラリアのシーフードとシャルドネの相性は抜群だ。
念願のバラナ訪問。多少混む時期を外していたこともあるが、観光客は多くなく、また地元の人口も大きくないので、のんびりと滞在することが出来た。今はシドニーもメルボルンも人が多過ぎて、ちょっと引いてしまう。こう言うと、東京に住んでいるのに!とオーストラリアの友人たちは一様に笑うが…。だからこそ旅に出た時ぐらいは、人の波より、素朴な自然を眺めていたい、と思うのだ。バラナはそれにぴったりの地だった。