ロイヤルファミリーとオーストラリア

 7月4日の午前、用事があって新宿へ行ったら、参議院議員選挙の公示日ということで、「立憲民主党」が選挙戦の第一声を発している場面に遭遇した。「#令和デモクラシー」と、立憲民主党の今回の選挙戦の標語が書かれた幕の前で、かなり強い雨の中、今回の候補者、そして代表の枝野幸男さんが熱弁を奮っていた。



 その後、西口の方へ回ったところ、今度は「れいわ新選組」の山本太郎さんのスピーチに遭遇。



今回「れいわ新選組」が東京選挙区に擁立した、沖縄出身で、創価学会員ということで話題の野原まさよしさんの応援らしい。こちらは、更に熱い演説だった。
 「#令和デモクラシー」に「れいわ新選組」。平成に代わる元号が「令和」と発表された時には微妙な違和感があったが、何度も見聞きしている内に、なんとなく馴染んでくるから不思議なものだ。

 その元号が変わった4月末日から翌5月1日に行われた天皇の退位と即位の様子は、オーストラリアのメディアも、一連の儀式の内容はもちろん、街の声も含めて詳しく報じていた。

Sydney Morning Herald紙より(4月30日付・スクリーンショット)
Sydney Morning Herald紙より(4月30日付・スクリーンショット)

ABC News(5月1日付)

 また、海外では今後の皇室の後継問題に絡んで、特に女性天皇が認められていないことに注目が集まっていたが、オーストラリアのメディアも同様だった。

ABC News(5月1日付・スクリーンショット)
ABC News(5月1日付・スクリーンショット)

 世界で最古のロイヤルファミリーが今後どうなるのか、ということはそれなりに他国も興味がある事柄らしい。と同時に、男女平等がデフォルトとなりつつある今の時代感覚からすると、女性がその地位に就けないことは前近代的に見え、近代国家であるこの東洋の一国が、今後この問題をどう取り扱っていくのかに関心が集まるのだろう。

 さて、ロイヤルファミリーとオーストラリアと言えば、若干複雑な関係性にある。オーストラリアには自前の王室はない。しかしながら、英国の植民地であったという歴史的経緯から、オーストラリアは立憲君主国家で、国家元首は英国のエリザベス二世女王だ。彼女は、もう高齢なので今後来豪することはないかもしれないが、オーストラリアに一歩足を踏み入れると、「オーストラリア女王」になる人物だ。
 この、独立国でありながら「外国人」が国家元首である、ということに対して異議を唱える人はもちろんいるし、国旗のデザインに組み込まれているユニオンジャックを外そう、と主張する人たちもいる。そして、1999年の国民投票では否決されてしまったが、立憲君主制から共和制への移行を求める声はオーストラリア社会に根強く存在している。
 とは言え、英国との歴史的な関係を大切に思っている人ももちろんいる。そして、ロイヤルファミリーの熱心なファン、そして追っ駆けも実はいるのだ。

 7年前、メルボルンに住んでいる時にこんなことがあった。ちょうどその時、チャールズ皇太子とカミラ夫人が来豪していたのだが、メルボルンにあるヴィクトリア州総督の公邸を訪ねる二人の車列に、偶然公邸の門のすぐ手前で遭遇したのだ。
 その日は日本から訪ねて来た友達と、総督公邸の隣りにあるボタニカルガーデンへ行こうと二人で歩いていて、公邸へアクセスする道に行き当ったのだが、なぜか門の辺りに何人かが滞留していて、少し賑やかな感じだった。そして、一台テレビの中継車が止まっていた。
 なんなのだろう?誰か有名人が通るのかな?と二人で話していたら、ほどなく白バイに先導された車列がスーッと目の前を通って、公邸の門の中へ吸い込まれて行った。チラリと見えたのは、メインの車の中のグレーヘアの年配の女性。一瞬、当時の連邦総督クエンティン・ブライス氏がやはりグレーヘアの方だったので、彼女が州総督を訪ねて来たのかと思った。しかし、それはわざわざ報道するようなことでもないんじゃないかなぁ、と考えていて、ふと、あぁ!そうか、と思い出した。そう言えば、今チャールズ皇太子が来てるんだっけ、と。チラリと見えたのはカミラ夫人だったのだ。
  へぇ、と遅ればせながら事態を把握して、門の近くまで行って、中を伺い、一応写真を撮ってみた。

総督邸前庭を門から覗き見。車列の一車、黒いバンが遠めに見える(2012年11月6日撮影)
総督邸前庭を門から覗き見。車列の一車、黒いバンが遠めに見える(2012年11月6日撮影)

 警察官は門のところで警戒に当たってはいるが、我々がうろうろしていても一切お咎めなし。どころか、居合わせた女性にどのくらいで出て来るかしらね、と聞かれて、う~ん、どうだろう、などと雑談をしている。リラックスしたものだ。
 私たちは先を急いでいたので、そのまま目の前の道を渡ってボタニカルガーデンへ向かおうとしたのだが、さっき車列が入っていくのを見送っていた10人くらいの女性たちが道を渡ったところでまた立ち止まっているのが目に入って来た。あれ?出て来るのを待つつもりなのかな?と思って「待ってるの?」聞いてみたら、「もちろん!」と即答えが返って来た。
 そこで、ハッと気がついた。実は彼女たちはロイヤルファミリーの追っ駆けで、ちゃんとその時間に総督邸に到着することを事前に知っていて、門前で待機していたのでは?「え?ひょっとして、彼らが来るの知ってて待ってたの?」と聞いてみたら、これにも即「もちろん!」(キッパリ!)と返事が返って来た。よく見ると数人はディレクターズチェアを広げて座り、出て来られるところをゆっくり、静かに待っている感じだった。一つ一つ手慣れた人たちに見えた。
 「そうかぁ、出待ち、かぁ~」と、何だかひどく感心してしまった。日本にも皇室の追っ駆けはいるし、オーストラリアにもセレブの追っ駆け同様、英国王室のフォロワーがいるのは知っていたが、チャールズ皇太子夫妻が総督邸に入るところまでわざわざ押さえている人たちがいることはほとんど想像していなかったので、新鮮な驚きだった。セレブウォッチャーというのはきっとユニバーサルな存在なのだろう。

 ところで、そんなオーストラリアと新天皇には、実はちょっと特別な関係がある。今回の即位で新天皇に注目が集まった時にも日本のメディアでは報道されているのを私は目にしなかったので、恐らく日本国内ではあまり知られていないことなのではないかと想像するが、天皇陛下が初めて単独で行かれた外国はオーストラリアだったのだ。
 これは、浩宮様の豪州訪問が発表されたことを報じる現地の1974年当時の新聞記事だ。

The Canberra Times(1974年7月30日付)
The Canberra Times(1974年7月30日付)

 当時の呼び方で「浩宮様」と呼ばせてもらうが、浩宮様は1974年の8月に渡豪。メルボルン郊外の一般家庭でホームステイを経験した後、首都のキャンベラや、今年10月をもって登山が禁止されるということで今脚光を浴びているウルルを訪問したらしい。
 ちょうどその頃私はオーストラリアに住んでいたが、プライベートの滞在だったということで、それほど大きくは報じられなかったのか、この話は近年偶然聞くまで、全く知らなかった。親が話していた記憶もない。
 ただ、浩宮様のご両親、つまり今回、上皇、上皇后になられた当時の皇太子様と美智子様が1973年に来豪されたことはとてもよく記憶している。というのも、私が通っていたシドニー日本人学校をお二人が訪問されたからだ。


 私の学年は講堂で楽器の演奏をして(演奏したのはヘンデルの「水上の音楽」だったらしい)お迎えをしたが、当日学校には多くの生徒の父母も集まり、私の母もわざわざやって来ていた。商社勤めだった父も他のシドニー日程セッティングの下働きで忙しそうにしていたのが印象に残っている。小さい在シドニー日本人社会としては、かなりのビッグイベントだったのだ。
 今回関連の当時の記事を読んで行くと、どうもこのご訪問時に、浩宮様の最初の海外滞在先としてメルボルンが相応しいのではないか、とお二人がお考えになったらしい。
 今回の一連の即位に関する報道を見ていて、私はこのことを思い出し、当時のホストファミリーの息子さんたちはどうしているのだろう?今回天皇になられたことをどのように受け止めているのだろう。そして、出来れば当時の様子を直接聞いてみたいなぁ、と思っていたところ、やはり現地メディアはこの40年以上前の出来事を見逃してはいなかった。ほどなくしてネット上でThe Weekend Australian紙に掲載された、ホストファミリーの息子さんの一人で陛下と同い年のアレックス・ハーパーさんのインタビュー記事に行き当った。

The Weekend Australian(2019年5月1日付・スクリーンショット)
The Weekend Australian(2019年5月1日付・スクリーンショット)

また、メルボルン在住の友達によると、ABCラジオでもインタビューを受けていたわよ、ということなので、一瞬、とは言え、ハーパーさんは向こうでは時の人だった模様だ。

いずれも上記の記事より(スクリーンショット)
いずれも上記の記事より(スクリーンショット)

この写真はハーパーさんが提供したのか、あるいは新聞社のアーカイブに入っていたものなのかは不明だが、これまであまり日本で披露されたことのない貴重な記録写真、ということは言えそうだ。。
 天皇陛下と海外、と言えば、やはり英国オックスフォード大学への留学時の話がよく知られているし、今回の天皇即位に纏わる報道でもあちこちでそのことが取り上げられていた。しかし、そのもっと前に、短期間ではあるがオーストラリア滞在をされ、ビーチライフやスポーツを楽しまれた、というエピソードの存在は、オーストラリア・ウォッチャーの私にとってはなかなか貴重で、同時にエキサイティングなことだ。
 先のCanberra Timesの記事には、オーストラリア訪問の目的は将来天皇となる浩宮様の視野を広げ、英語力を強化することだ、と書かれている。英語も流暢に話される、という陛下。この時の経験が少しは役に立ったのか、多少オーストラリアンアクセントがあったりされるのか。恐れ多いことかもしれないが、伺ってみたい気がする。





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Yoko Harada

原田容子: オーストラリア・ウオッチャー。子供時代の一時期を父親の転勤にてシドニーで過ごす。以来オーストラリアとの交流が続き、2003年にそれまでの会社勤めを辞め、シドニー近郊のウーロンゴン大学に留学。修士号、博士号(歴史・政治学)取得。在メルボルンのディーキン大学で研究フェローを務めた後、2013年帰国。外務省の豪州担当部署に一年勤務。現在は個人でオーストラリア研究を継続する傍ら、大学で教える。