“バリアフル”?車椅子議員とオーストラリアの国会

 もう20年以上前のことになるが、ニューヨーク旅行の帰り道、カナダのバンクーバーへ数日寄ったことがある。 バンクーバーは1960年代に私が暮らした町だ。70年代に暮らしていたオーストラリア・シドニーへは、帰国をしてから旅行で再訪を何回かしていたが、バンクーバーは60年代以来の訪問。住所を頼りにタクシーで昔住んでいた家へ行き、付近のショッピングセンターや、1年生の時に通った小学校も訪ねてみた。そして、7歳の頃の記憶もそこそこ正確なんだな、というような感想を抱きながら、市内に戻るために路線バスに乗った。
 そうしたところ、ある停留所から車いすに乗った人が乗り込んで来た。驚いたことに付き添いの人はいない。確かバスの車高が低くなって、スロープが出る形だったように記憶しているが、その人は難なくバス内へ。そして車椅子を所定の場所まで進めて、固定。バスはまた走り出した。
 当然のことながら、その間通常の乗客がバスに乗り込むより多くの時間がかかったので、私は途中でちょっとドキドキした。バスが通常より長く止まっていることに他の乗客がイライラし、車内の空気がちょっととげとげしくなるのではないか、と思ったからだった。
 ところが、バンクーバーの乗客たちは、そんなことは全く気にしていない様子だった。そもそも車椅子の人が乗り込んで来ていることをいちいち特別なこととして捉えていない態度、というのだろうか。その頃は日本でも障がい者の人たちがもっと楽に社会に出られるように、という議論がなされてはいたが、実際の日常生活の中では、まだまだ“通常のペースを乱す”障がいを持つ人たちの社会進出が歓迎されているとはとても言えるムードではなかった。だから、周りの人たちの反応が私は気になったのだ。
 欧米ではもっと積極的な対応をしている、とメディアでも伝えられていたから、障がい者の人たちが町にいる光景が普通なんだ、という感覚は持ってはいたが、バンクーバーで遭遇した出来事は正にそれを実体験させてくれた。少々ナイーブな反応だ、と今にして思うが、その社会のあり方に感動をした。

 それからまた10年くらいが経った2000年代前半、オーストラリアのある小学校で車椅子の子供が入学することになり、今まで階段だったところをスロープにするなど、学校が校舎の改良を行ったという報道に行き当った。たった一人のために改装しちゃうんだ!と私は驚いた。その直前に日本では通常の小学校入学を希望した車椅子の女の子が、受け入れる設備がないということを理由に入学を断られた、というニュースが流れていたからだ。オーストラリアのその学校の対応に感心すると同時に、日本はまだまだだな、と思わざるを得なかった。
 それから更に時は経ち、2019年、その日本で画期的なことが起こった。先月の参議院選挙で重度の障がいを持つ舩後靖彦さんと木村英子さんが「れいわ新選組」から見事に当選を果たし、国会議員になったのだ。彼らは身体的な動きは制限されているが、知的、あるいは精神活動は私などの何倍も活発だと感じるし、それ以上に国会議員になったという事実だけで、既に問題を提起し、国を動かす働きをしていて、敬服する。彼らが障害のない者にとっては普通のことをやろうとするだけで、この社会の様々な綻びが晒される。仕事をしている時にヘルパーさんが使えない制度になっていたなんて。きっと当事者でない人の多くはそのように思ったのではないか。

 これから彼らが国会議員としての活動を通して、どのように日本を変えていくきっかけを作っていってくれるのかわくわくするし、同時にその彼らを一市民として自分がどう応援して行ったらいいのか考えさせられるが、彼らが8月1日に登院し、国会に臨めるよう、急遽行われた参議院の座席の改良工事の様子を報道する記事を読んでいて、私は2月に訪れたオーストラリアの国会議事堂のことを思い出した。


 ちょうどボランティアによる議事堂内のツアーが出発するところだったのでそのツアーに参加してみた。  最初に緑を基調にした下院の議場を見学。


 その後赤を基調にした上院の議場へ案内された。


 上院の傍聴席に座って案内の女性の説明を聞いていたのだが、彼女はいくつかの設備の説明をした後、フロアから3段高いところにあり、一番出入口に近い議員席を指して、あの席は、今車椅子の議員がいるので、普通の座席は取り払って、車椅子のまま席に付ける構造にしてある、と言った。あぁ、あそこが彼の席なんだ、と思った。
 彼…というのは、オーストラリアン・グリーンズ党のジョードン・スティール=ジョン上院議員だ。2017年末、同党の別の議員が辞職したことから繰り上げで当選となった若干24歳の新人議員だ。

オーストラリアン・グリーンズ党ホームページ上のスティール=ジョン議員の紹介ページ(スクリーンショット)
オーストラリアン・グリーンズ党ホームページ上のスティール=ジョン議員の紹介ページ(スクリーンショット)

 オーストラリアの国会で車椅子の議員は彼が二人目。第一号は1998年から2007年まで下院議員を務めたグラハム・エドワーズ氏だ。氏はベトナム戦争に従軍した軍人で、戦場で地雷により両足を失う大怪我をした人物だった。
2014年のアンザック・デー(注①)の行進で、孫から国旗を渡されるエドワーズ氏(2015年5月10付パース・ナウ紙スクリーンショット)
2014年のアンザック・デー(注①)の行進で、孫から国旗を渡されるエドワーズ氏(2015年5月10付パース・ナウ紙スクリーンショット)

 一方、スティール=ジョン議員は脳性麻痺による車椅子生活者で、上院では初めての車椅子議員となった。彼は上院議員としては、これまでの最年少の23歳で議員に就任したことも話題となったし、政策では気候変動への対処にも情熱を燃やしていることがこれまでの議会活動から窺える。しかし、やはり彼が障がい当事者であることから、彼の議会での活動も障がいを抱える人たちの生活の質を向上させることに特に重きが置かれている。

 前述の小学校の例のように、建物や乗り物などのハード面も、また人びとのマインドなどのソフト面も、日本よりはバリアフリーが進んでいると感じられるオーストラリア。車椅子の上院議員が出た、と聞いても、へぇ今までいなかったのか、と思うくらいの感想しかなかった。しかし、今回の舩後議員、木村議員のニュースを受けて、改めてスティール=ジョン議員の活動を調べてみたところ、実際には日々なかなか正に障害が多い現実があるらしいことがわかって来た。
 議員就任から5ヶ月程経った去年の4月、ABCニュースは彼に取材した「ジョードン・スティール=ジョンは上院で最も孤独な席にいる。そしてそのことは彼を議会進行から排除している」(Jordon Steele-John has the loneliest seat in the Senate, and it's locking him out of the parliamentary process)という記事を掲載した。これはその記事中に埋め込まれている、議会がいかにバリアフリーならぬ、“バリアフル”な場所かを彼が語っているビデオだ。

 この中でスティール=ジョン議員は、国会議事堂のハード面について、この議事堂は1988年に建てられた古い建物だから、バリアフリー度は低く、車椅子で移動するには障害が多い、と言っているのに驚いた。私からすれば、1988年オープンのオーストラリアの現国会議事堂は、新しい建物というイメージがあったので、日本の国会議事堂(1936年に完成)に比べたら、うんとバリアフリー対応がなされているのだろう、と勝手に信じていた。実際には、彼が着任してみると、トイレの間口が狭すぎて入室出来なかったり、建物から中庭へ出る部分にはいちいち段差があることから、車椅子では中庭に出ることが困難だったりすることが判明した。また議場には絨毯が敷かれているが、車椅子と絨毯の相性は残念ながらよくないことがこのビデオからよくわかる。
 議事の進行にしても、自室にいて、投票が始まるという合図のチャイムが鳴り、議場へ駆けつけたけれど、時間内に辿り着けず、投票が出来なかったこともあったらしい。また、法案が通ると、議員が議場の一番低いフロアに降りて握手をする習わしがあるが、それに彼が参加することは叶わない。同じ党所属の議員とも、近いエリアに座っているものの、みんなのように物理的に近づいて相談をする、ということも困難だ。かくして、ABCは、上院で最も孤独な席にいる議員、とスティール=ジョン議員のことを称したのだ。
 このビデオの中でスティール=ジョン議員は、現在の政府に対しての不満も口にしている。政府は国会議事堂をテロの脅威から守るため、と言って多くの資金をテロ対策費としてつぎ込んでいるが、そもそもオーストラリアの国会議事堂がテロの標的になる危険など非常に低いものだ。そのようなお金があるのだったら、バリアフリー化にその資金を投じるのが現実的だ、と主張している。
 更に、彼は西オーストラリア州選出の議員なので、国会会期中はキャンベラに仮住まいをしなければならない。しかしながら、彼が最初キャンベラで家探しをした際には、車椅子で暮らすことが出来る住居を探すのに非常に苦労したのだそうだ。実際にその障害を持った人が動いてみないと、なかなか見えない問題点が、当事者が国会議員になったことで一気に見える形になったのだ。

 この記事が掲載されてから1年超の時間が経ち果たしてどのくらいのことが改善されたのかに興味が湧くが、スティール=ジョン議員のパッションは変わらず、精力的に仕事に取り組んでいる。
 最近彼の名前が大きくニュースに登場したのは、4月にスコット・モリソン首相から発表された「障がいを持つ人に対する、暴力、虐待、ネグレクトそして搾取に関する調査委員会」(The royal commission into violence, abuse, neglect and exploitation of people with a disability)の設置に関してだ。
 この調査委員会は、前々から設置の必要性が言われていたが、現在の政権はそれを回避して来た。しかし今年2月にスティール=ジョン議員が大々的なアピールをしたことから、設置を拒み続けることが難しくなり、4月に国会で承認され、正式に設置が発表されたのだ。

議事堂中庭で会見するスティール=ジョン議員(2019年2月18日付ABCニューススクリーンショット)
議事堂中庭で会見するスティール=ジョン議員(2019年2月18日付ABCニューススクリーンショット)

障がい者に関わる国の調査委員会が設置されたことで、彼の大きな目標の一つが達成された形となったのだ。
 ところが、続いて委員会の委員5人が発表されたところ、彼や、彼の周りの障がい者たちからは好ましくない、とされる人物2名が含まれていたことで、また論争を呼ぶ事態に陥っている。2人(内1人はニューサウスウェールズ州の元議員)は共に、これまでも障がい者政策に関わっていながら、当事者たちの声をきちんとすくい上げてこなかったと批判されている。
 8月となり、調査委員会の一般からの意見の募集も既に始まってしまった。しかし、国会でもスティール=ジョン議員のグリーンズ党を越えて、彼の主張をサポートする議員たちもいて、走りながらこの論争は続くことになるのだろう。
 2022年の4月29日までに何らかの調査報告を出すことが求められている委員会だが、そこへの道のりは決して楽なものではなさそうだ。当事者が納得する調査報告に行きつくのかどうか、今後もスティール=ジョン議員の動きには注目だ。
 一つ批判を受けている政府を多少擁護することを記載しておくと、実はモリソン首相の義兄弟(夫人の兄弟)は多発性硬化症を患っており、車椅子生活を送っている人だ。首相は親戚に当事者を持つことで、恐らく私のような人間よりは、障がいを抱えて生きることがどういうことなのか、理解が出来ているのではないだろうか。決して障がい者政策に無関心、ということでもないのではないか。
 しかし、それでも当事者に完全に寄り添うことは難しく、批判を浴びてしまう。そして、スティール=ジョン議員の主張も、きっと障がいを持つ人たちの中でも賛否いろいろあるのだと思う。このことは、翻って自分自身の舩後議員や木村議員の活動をどう応援すればいいのだろうか、という問いに単純な正答がある訳ではないことを示していると感じる。
 この夏は日豪両方の事例から、真のバリアフリーな社会とはどのようなものか、どうするのが当事者にとって、また広く社会一般にとって良いことなのか、その中で自分が取るべき行動はなんなのか、を考えさせられることになった。ひょっとしてそれだけでも彼らが国民を代表する地位に就いていることの意義がある、と言えるのではないだろうか。

【注①】 アンザック・デー:4月25日。国民の祝日。第一次世界大戦に起源を持つ、オーストラリアの新旧の従軍者を記念する日。アンザック(ANZAC)は、Australia and New Zealand Army Corpの略。



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Yoko Harada

原田容子: オーストラリア・ウオッチャー。子供時代の一時期を父親の転勤にてシドニーで過ごす。以来オーストラリアとの交流が続き、2003年にそれまでの会社勤めを辞め、シドニー近郊のウーロンゴン大学に留学。修士号、博士号(歴史・政治学)取得。在メルボルンのディーキン大学で研究フェローを務めた後、2013年帰国。外務省の豪州担当部署に一年勤務。現在は個人でオーストラリア研究を継続する傍ら、大学で教える。