《イースター》ウサギたちの受難

    今朝ツイッターを読んでいたら、在日オーストラリア大使のブルース・ミラーさんが、東京のオーストラリア大使館はイースター休みのため、3月25日(金)から28日(月)までの四日間、お休みします、とツイートされていた。長い夏休みモードから抜け、2月の頭頃から始まる新年度。そろそろお休みが恋しくなって来た頃に、ちょうどやって来てくれるのがイースターの連休だ。

    イースターは言わずと知れたキリストの復活を祝う期間だが、街のムードはそれほど宗教色が強くなるわけではない。どちらかと言うとイースター・エッグやイースター・バニー(ウサギ)を模ったチョコレート、そしてホット・クロス・バンがスーパーなど店頭に溢れる季節、というイメージが強い。

    “舶来”の行事とは言え、日本でもすっかり一大年中行事となってしまったクリスマスや、バレンタインデー、あるいは昨今急にブレイクしたハロウィンなどに比べると、イースターのプレゼンスは低いが、イースターと言えば、玉子やウサギと知っている人は多いのではないか。では、ホット・クロス・バンは?

    ホット・クロス・バンというのは、イースターに伝統的に食べられてきた小型の四角っぽいレーズンなどドライフルーツが入ったパン(日本で言うところのレーズン入り菓子パン?)で、てっぺんにキリストを象徴する十字が描かれている、と説明して想像してもらえるだろうか。そう、百聞は一見に如かず。こちらのBakers Delight(ベイカーズ・ディライト)というパン屋さんのCMを見て欲しい。こんなパンである。


    そしてもう一つ、オーストラリアのイースターに特徴的なのがビルビーを模したチョコレートだ。

Australian Bilby Appreciation Societyホームページより

    ビルビーは2月の「申年徒然」のブログに登場させたオーストラリア特有の有袋類。

タロンガ動物園のホームページより

    オーストラリアを訪問した英国のジョージ王子が、同名のビルビーと対面したこと、その際シドニーのタロンガ動物園に開設されたビルビー舎にジョージ王子に因んだ名がつけられたことを紹介した。そのビルビーがオーストラリアではイースター・チョコとして登場したのには、オーストラリアにおけるウサギの複雑な事情がある。

    ウサギがオーストラリア大陸に登場したのは、英国がオーストラリア大陸の植民を開始した1788年である。英国から入植者たちを乗せてやってきた船には、多くの動物や植物も載せられていた。入植者たちは新しい土地を欧州、英国のような所にしようと思い、自分たちが慣れ親しんだ動植物を新大陸に持ち込んだのだ。

    やがて連れて来られたウサギたちは野生化し、その繁殖力、生命力の強さからオーストラリア大陸固有の動植物、土地に大きな被害をもたらすようになる。また農業にもダメージを与えた。このウサギによる被害は現在に至るまで続いていて、ウサギの間引き対策は州政府の重要な事案の一つになっている。

    このような経緯から“害獣”であるウサギの代わりに、直接その被害にも遭い、絶滅の危険にあるビルビーをイースターのシンボルに、とビルビー保護活動を行うSave the Bilby Fund(ビルビー救済基金)が発案。その趣旨に賛同したチョコレート会社のDarrell Leaが2002年から作成、販売したのがビルビーのイースター・チョコだ。イースター・ビルビーの売上げはビルビー保護プログラムに役立てられる。

    その後Darrell Leaの経営難に伴い、2012年にビルビー・チョコの製作は中断したが、2013年にPink LadyとFyna Foods Australiaの二社の協力を得て復活。今もイースター・ビルビーは継続して販売されている。

Fyna Foods Australiaホームページより

    ウサギは自ら好んで南の果ての地にやってきたわけではなく、連れて来られただけなのに、害獣となったら嫌われ、間引きの対象になってしまうというのは、なんとも気の毒、というか、人間は勝手なものである。

    しかしながら、もふもふで愛らしいウサギが一般的に嫌われているというようなことはなく、イースター・バニーが店頭から消えた、というようなこともない。今年もまた玉子やビルビーと共にウサギのチョコも飛ぶように売れているのだろう。

    Happy Easter!



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Yoko Harada

原田容子: オーストラリア・ウオッチャー。子供時代の一時期を父親の転勤にてシドニーで過ごす。以来オーストラリアとの交流が続き、2003年にそれまでの会社勤めを辞め、シドニー近郊のウーロンゴン大学に留学。修士号、博士号(歴史・政治学)取得。在メルボルンのディーキン大学で研究フェローを務めた後、2013年帰国。外務省の豪州担当部署に一年勤務。現在は個人でオーストラリア研究を継続する傍ら、大学で教える。