土足文化と靴を脱ぐ文化

 ゴールデンウィーク明け、ボーっとブラウジングをしていたら、いきなり“革靴”のアップの写真が目に飛び込んで来た。

シェフ セゲフ・モシェ氏のインスタグラム<a>より(スクリーンショット)
"シェフ セゲフ・モシェ氏のインスタグラムより(スクリーンショット)

 一瞬何だろう、と思いつつ、その時はやり過ごしたが、その後また同じ靴が写った写真に出くわした。今度は何やらテーブルの上に複数鎮座している。しかも、安倍総理夫妻と、ネタニヤフ・イスラエル首相夫妻に囲まれて。

同じくモシェ氏のインスタグラムより(スクリーンショット)
同じくモシェ氏のインスタグラムより(スクリーンショット)

 一体何かと思えば、それはゴールデンウィークの外遊中に、安倍総理が訪れたイスラエルでの夕食会の模様で、その席で出されたデザートのチョコレートが盛られて来たのが“靴”だったのだ。靴にチョコレート?改めて、ダイニングテーブルに靴が置かれている様をよくよく見て、奇異な気持ちを抱いていたら、どうもその“靴のデザート”が半ば炎上していることがわかった。
 そもそも食卓に靴を乗せるなんて何事か、という批判から始まり、日本通かもしれない人たちから、日本には靴を脱ぐ文化があり、その国の首相に“靴のデザート”を提供するなんて、なんと失礼な!これは他国文化への侮辱だ、との批判が集まっていた。5月7日付のワシントンポストもネタニヤフは出す足を間違った、との記事を掲載した。日本のメディアにもこの件が取り上げられ、このシェフの意図や如何に?と在日イスラエル大使館へのインタビューも交えた記事も書かれたりした。
 冷静に考えれば、このようにあからさまに相手を“侮辱”をすることは、なかなか考えにくいことだ。それも外交の場で。この渦中のシェフ、セゲフ・モシェ氏は、イスラエル大使館の人によると、イスラエルでは誰でも知っているセレブ・シェフとのこと。彼の意図とは全く違うところで炎上してしまったのだろうと想像する。張り切ったものの、滑ってしまった、というか…。安倍総理夫妻にしても、侮辱されたようには思わなかったのではないだろうか。奇抜だ、とは思ったかもしれないが。
 上の2枚の写真が投稿されたモシェ氏のインスタグラムを見てみると、普段からかなり斬新な料理のプレゼンテーションをする人らしい。“靴のデザート”にばかり注目が集まっているが、安倍・ネタニヤフ両夫妻の夕食会の際の他の料理の盛り付けも、相当目を引くものだったことが伺える。

これはニョッキの一品らしい(モシェ氏のインスタスクリーンショット)
これはニョッキの一品らしい(モシェ氏のインスタスクリーンショット)

 今回の“靴のデザート騒動”は外交問題に発展することもなく、めでたく収まって行きそうで何よりだが、この騒動で語られた「靴を脱ぐ文化」とそうでない「土足文化」の違いというのは、土足文化の国に暮らすことになった時に、それほど深刻な話ではないが、戸惑う場面がちょいちょいある。
 これは地面を汚いと思うかどうか、家の内と外に境界線を引いているか、それはどの辺りに引くか、という個人の感覚の問題に関わっているのだと思うが、例えば家選び。オーストラリアは土足文化の国なので、玄関を入ったところに靴を脱いで置いておけるスペースがない家が多い。ドアを開けたら、いきなりリビングルーム、というような家も見たことがある。もちろんオリジンが「靴を脱ぐ文化」にあっても、郷に入れば郷に従えで、オーストラリアでは土足文化で通す人たちもいるから人それぞれだが、私はやはり靴は脱ぐ派だったので、玄関を入ったところに靴を脱いで置いておくスペースを確保することが必要だった。
 加えて、家は借家で、前に住んでいた人たちは土足のまま生活していた確率が当然のことながら高いので、出来れば板の間やフローリングの家を、と家探しをした。そうすると選択肢が限られる。メルボルンで最初に借りたアパートは、希望が叶って板の間だったのだが、内覧をさせてもらった時に顔を合わせた前の住人だった女性は韓国の出身の人で、この家の良いところは床が板の間なこと。カーペットは積年の汚れが溜まっているからイヤだ、と力説していて、ものすごく親近感を覚えた。そうよね!と。

引っ越した初日の板の間の寝室の光景
引っ越した初日の板の間の寝室の光景

 また、住み始めてからも、荷物を運び入れてもらったり、修理に来てもらったり、業者さんが家にやって来ると、ほぼ間違いなく土足のまま上がられるので、後の掃除が大変になる。高い場所のメンテをするために、その辺にある椅子に土足で乗られた日には、もうトホホである。
 そう言えば、その逆のケースで、ある時訪ねた病院で診察台に上がって、と言われて、まず靴を脱いだら、お医者さんに怪訝そうな顔をされたことがあった。最初何故だろう、と思ったのだが、直ぐに靴を脱いだからだ、と気が付いた。この患者は一体何をやっているのだろう、と思ったのだろう。(因みに私はオーストラリア方式に慣れ切って帰国してから、日本のお医者さんにかかった時に、靴を脱がずに診察台に上がりかけて、看護師さんに阻止されたことがある…)

ウーロンゴンの公立の総合病院
ウーロンゴンの公立の総合病院 

 このように大抵はこちらが“郷に入る”ことで、日常は過ぎていくのだが、一度ウーロンゴン大学の学生寮に住んでいた時に、地元の学部生と“文明の衝突”をしてしまったことがあった。衝突、というか、当時その“事件”を記録した私のmixi日記を読み返すと、どうも私が一方的に相手を怒鳴り散らしてしまったようなのだが…。
 あるよく晴れた土曜日、私は朝一番で洗濯をし、寮の芝生エリアに立っている物干しに洗濯物を干し非常に上機嫌だった。

写真は“事件”とは別の日に撮影した学生寮の洗濯物干しエリア
写真は“事件”とは別の日に撮影した学生寮の洗濯物干しエリア 

 少々余談だが、この傘のような形状をした洗濯物干しはヒルズ・ホイストと呼ばれるもので、オーストラリア人のランス・ヒルさんが戦後すぐに発明したものだ。衣類を掛けるところが上下に移動し、低い位置で衣類を掛け、その後高いところに上げることが出来る。そして軸が回転するので、風に吹かれてよく乾く。オーストラリアの裏庭の風物詩の一つだ

 話を“事件”の方に戻すと…

 最大で600人程を収容していたその学生寮にはブロック別に洗濯機と乾燥機が置いてある部屋があり、毎日朝7時から夜の10時ぐらいまで自由に洗濯が出来るようになっていた。

ウーロンゴン大学学生寮の洗濯部屋
ウーロンゴン大学学生寮の洗濯部屋

とても簡易な業務用と思われる洗濯機(奥)と乾燥機
とても簡易な業務用と思われる洗濯機(奥)と乾燥機

 しかし、やはり洗濯が集中するのは土日で、私もご多分に漏れず、大抵土曜日の朝洗濯をしていた。朝一番で洗濯機を押さえられないと順番待ちをしなければならず、一日の予定が狂ってしまうので、平日以上に早起きをして、洗濯機争奪戦を制するのに相当気合いを入れていた。その“事件”があった日私が上機嫌だったのは、洗濯一つするのにそんな苦労があったからだった。

 その日は上機嫌のまま朝ご飯を済ませ、いつもより早い時間に近くのスーパーまで買い物に出掛けることが出来た。そして一週間分の買い物を抱えて、寮へ戻って来たところ…

 え???私の洗濯物は??な、ない!洗濯物がない!!

 朝自分の洗濯物を干したはずの物干しがカラのまま回っている。狐につままれたような気持ちで辺りを見渡すと、なんと私の洗濯物が物干しの横の地面に積まれているではないか。風に飛ばされたという感じではない。学生のいたずら?この辺りで見えない“犯人”に対する怒りがふつふつと湧いて来ていたのだけれど、ちょうどその場所で、2本ある物干しの内、私が使っていた方ではないものを解体し、修理をしていた顔見知りの学生が目に入った。どうも昨晩酔っぱらってヒルズ・ホイストにぶら下がり、芯棒を曲げてしまったらしい。まぁ、それは学生寮では珍しいことではなかった。

 そこで、彼が何か知っているかもと思い「ねぇ、私、あっちの物干しに今朝洗濯物を干しておいたんだけど、なんで地面に下ろされちゃったか知ってる?何か見なかった?」と声を掛けてみた。そうしたところ、なんと、彼はサラッと「あぁ、あれ?あれはボクがこっちの物干しの修理をするのに、物干しの構造を見たくって、掛けてあった洗濯物を下ろしたんだよ」と返して来た。

 えええええええ??!!!

 それまで彼が“犯人”だとは全く思っていなかったのだけど、ここで一気に怒りが爆発してしまった。何をどういう順序で怒鳴ったか、今となっては全く記憶にないけれど、どうしてくれるんだ、なんで洗濯物を地面に置くんだ、折角洗ったのに、また洗わないといけないじゃないか、と、とにかくすごい剣幕だった…模様だ。
 彼はその剣幕に相当ビックリして、向こうの人にしては珍しく「Sorry」という言葉を連発しつつ、そんなに怒らないで欲しい、怒らすつもりは全くなかった、洗濯物は丁寧に綺麗な場所に置いたつもりだし、とただただ恐縮、というか、委縮しながら一生懸命私の怒りを鎮めようとしていた。遂には、クリーニング代を出すよ、とも。
 いや、お金の問題じゃぁないんだ、なんで地面に直に置くんだ!と言いかけて、あぁ、そうか!と思った。彼にはこれが汚い、汚れる、という感覚がないんだ、ということに思いが至った。地面に対する感覚の相違だ。その辺りに頭がやっと回り出して、急に彼が気の毒になってしまった。その感覚がなければ、私の怒りのポイントが伝わるはずもない。
 一呼吸置いて、気を静めて「わかった。洗濯物、汚れもついていないみたいだし、これはこれでいい。私もあんなに怒って悪かった。ごめんなさい。ただね、世の中には…いや、ひょっとして私が特にそうなのかもしれないけど、地面に洗濯物を直接置くことを“汚い”と感じる文化もあることを知っておいてね」と言った。彼は神妙な顔をして「うん、わかった、ごめんなさい」と返して来て、平和なはずの土曜日の朝の一大ドラマは収まった。
 その後部屋に戻ってからも、なるほどなぁ、といろいろと思考を巡らせた。確かにオーストラリアの若い子たちは結構簡単にその辺の地面に座り込むとか、裸足で歩くということをする。バックパックや荷物を多少汚れていても地面に置くことに抵抗はほとんどないように見受けられる。これはやはり地面に対する感覚の違いであり、そのことが家に入る時に靴を脱ぐか脱がないか、という習慣に繋がっているのではないだろうか。

 ところで、今回の靴入りデザート事件が起こる少し前に、別の靴の写真をネット上でちらちら見かけた。

(2018年4月15日付ABC Newsのスクリーンショット)
(2018年4月15日付ABC Newsのスクリーンショット)

 これはF1の中国グランプリを制したオーストラリアのドライバー、ダニエル・リカルドだが、自分のレーシング・シューズに勝利の美酒、シャンパンを入れて飲んでいるところだ。彼は2年前から表彰台に上ると、このパフォーマンをしているらしいが、当然洋の東西を問わず、靴から飲み物を飲むのは相当特異なことなので、注目を集め、以来このパフォーマンスがリカルドのトレードマークになっているらしい。
 この決してお上品とは言えないパフォーマンス、実は前々からオーストラリアのお祭り騒ぎ好きなサーファーや釣り人たちのグループの間で伝統的に?行われて来た行為らしい。興に乗った時に靴からビールなど酒類を飲むのだそうだ。ご丁寧にその行為には「シューイー(shoey)」という名前までついているのだとか。これをリカルドは真似たのだ。
 とは言え、リカルドは普通の時に穿いている靴を脱いで、飲み物をそこから飲むことはないから、と断っている。私もオーストラリアの人たちの名誉のために、長年オーストラリアと関わってきたが、そのような場面に行き合わせたことはないことを申し添えておきたい。やはり、靴は履きものとして、地面の上で使用…とお願いしたい。



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Yoko Harada

原田容子: オーストラリア・ウオッチャー。子供時代の一時期を父親の転勤にてシドニーで過ごす。以来オーストラリアとの交流が続き、2003年にそれまでの会社勤めを辞め、シドニー近郊のウーロンゴン大学に留学。修士号、博士号(歴史・政治学)取得。在メルボルンのディーキン大学で研究フェローを務めた後、2013年帰国。外務省の豪州担当部署に一年勤務。現在は個人でオーストラリア研究を継続する傍ら、大学で教える。