日本でちょっとトレンドだったサマータイム

 週に一回、神奈川県にある大学で「地球社会とオーストラリア」という教科の講義を担当している。


教師の専門や興味によって、内容は何とでも展開出来るありがたい教科名で、過去にはオーストラリア先住民の話や、ジェンダーの話に重点を置いた講義が行われたことがあったようだ。
 2年前からこの教科を担当している私は、学生たちにオーストラリアにもコアラやカンガルー、ビーチなどの他に、歴史や政治、文化、一般の人々の暮らしが存在していることを知ってもらいたい、リアルなオーストラリアを感じて欲しいと願って教壇に立っている。90分×2コマ、3時間の長丁場の講義では、私がしゃべるだけでなく、オーストラリアのニュース番組などのビデオを観てもらって、なるべく生のオーストラリア情報に触れてもらう機会を作っている。
 その目的達成のために、毎週学生たちに任意で取り組んでもらっている課題がある。題して「What’s up in Australia?」。今オーストラリアでは何が起こっているの?何が話題なの?という意味で、学生たちは自分の時間がある時にオーストラリアのメディアにアクセスし、一つ気になったニュースをピックアップ。その要約と、何故そのニュースを選んだのか、自分はどう思うのか、などを書いて翌週提出する、というエクササイズだ。
 任意なので全員が提出する訳ではないが、今学期はこれを熱心にやって来る学生が多い。ちょっとコメントを書くのが大変ではあるが、ピックアップして来る記事は多岐に亘り、なかなか面白く、私自身の知見を広げることにも役立っている。

 そのエクササイズで、少し前に「ニュー・サウス・ウェールズ州では正式にインフルエンザの季節が終わった」という記事をピックアップしてきた学生がいた。

2018年10月22日付のSBSより(スクリーンショット)
2018年10月22日付のSBSより(スクリーンショット)

日本ではちょうど今インフルの予防注射をと注意を呼び掛けていて、インフルの季節はこれからなのに、オーストラリアではインフルの季節は終わったのだそうだ、面白い、という趣旨の感想が添えられていた。
 短い感想だったので、その学生がその時点で南半球に位置するオーストラリアは、日本とは季節が逆で、今正に冬が終わり、夏に向かっているところだ、ということに気づいてこの感想を書いて来たのかどうかは彼女の書き方からはちょっと不明だ。だが、彼女は図らずも南半球と北半球の季節が交差する様を、タイミング良く捉えたのだ。

 そのような、日本は夏から秋に季節が進み、オーストラリアでは冬が終わり春に移り変わる時期。春第一日目は9月1日だ、という話を2年前のブログ「春が来た!春が来た!」に書いたが、その辺りから日に日に日が長くなっていく感じがする。徐々に子どもたちは夏休みに向けて、大人たちも負けずにクリスマス前後の休暇に向けて、何となく国中がウキウキしたモードに入っていく。そして、一気に夏に近づいた感じがするのが10月の頭である。
 その10月の頭に何があるのか、というと、サマータイムへの切り替えが行われるのだ。サマータイムは、向こうでは「デイライト・セービング」(daylight saving)と呼ばれる。昼間の光の節約、と訳すのが適当だろうか。言うまでもなく夏になると日が長くなり、日没の時間は遅くなるが、それに加えてサマータイムになると、例えば午後8時が元々の7時ということだから、日没の時間は更に一時間遅くなることになり、その分電気の節約になるという発想なのだろう。実際、少し調べるとオーストラリアで最初にサマータイムが導入されたのは第一次世界大戦の時で、その次は第二次世界大戦中だったとのことなので、当初の導入目的が省エネのためだったことは想像に難くない。
 とは言え、今となっては元々サマータイムをどうして導入したのか、という話が日常的に聞かれることはなく、多くの人たちが、夏がやって来る、日が長くなる、遊べる!というワクワク感満載でサマータイムへの切替日を迎えているように感じる。私もご多聞に漏れず、子供の頃からいつまでも遊んでいられそうな錯覚に陥るサマータイム期間がとても好きだった。現地に住んでいた時は、サマータイムに移行する時は時計を一時間進めて寝るので、今晩は睡眠時間を一時間削られるなぁ、と思いつつも、どこかワクワクする気持ちを抱えて時計の操作をしたものだ。そのような訳で、今旅行で行く時もサマータイム実施中に訪れることがほとんどだ。

 

 そんな心躍るサマータイムのイメージが、今年の夏日本で一気にダークなものになってしまった。他でもない、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに絡んで、突然日本にサマータイムを導入する話が持ち上がったからだ。今夏のあまりの猛暑を受けて、2年後の8月にオリ・パラを開催することに大批判が集まり、その解決策として2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の森喜朗氏が提案。政府がその提案を入れて、サマータイム導入の検討に入ってしまった。
 それで俄然勢いづいたのがオリ・パラ開催に元々批判的だった人たちだ。彼らの攻撃は例えば東京だけのイベントのためにどうして日本全体が影響を受けなきゃいけないんだ、という指摘から始まり、だんだんサマータイム自体に対する批判にも及んだ。あれは健康被害を引き起こすという科学的データを示した論文まで海外にはあるのに、と、とにかくサマータイム総スカン状態に陥ってしまった。
 実は私も今でも2020年に東京でオリンピック・パラリンピックを開催することに疑問を持っている者なので、開催反対派の人たちの批判に大いにシンパシーは感じた。しかし、責められるべきは、サマータイム自体ではなく、あくまでも猛暑対策という根本的な問題を場当たり的な解決策で乗り切ろうとしている組織委員会やオリ・パラを推進する人たちの態度であるべきだ。それとサマータイム自体の是非論は切り離さないと、サマータイムに気の毒ではないか、とサマータイムに夏のワクワク感を重ねて来た私は思わざるを得なかった。

 確かにサマータイムは、ワクワクうきうきと受け止められるケースばかりではない。それは例えばオーストラリアでも、サマータイムを採用している州とそうでない州があることからもわかる。10月の第一週の日曜日の早朝に夏時間に切り替わるのは、首都特別地域、ニュー・サウス・ウェールズ州(シドニー州都)、ヴィクトリア州(メルボルン州都)、南オーストラリア州(アデレード州都)、そしてタスマニア州(ホバート州都)だ。クイーンズランド州、西オーストラリア州、北部準州は採用をしていない。
 非採用の州は、地方の農業従事者の人口が多いからだ、と言われている。農家の人たちは早朝から働き始めるので、サマータイムになると暗い内から起き、農場に出なければならないことになってしまう。それに、動物たちの体内時計は人間の理屈には合わせてはくれない。よって彼らにサマータイムのメリットはほとんどなく、採用に反対をする人が多いのだそうだ。
 一方、シドニーやメルボルンなどの都会に住み、会社勤めをするような人たちにとってみれば、仕事が終わってからも尚辺りが長い時間明るいのは実に嬉しいことである。まだまだ遊べる、と。この辺り、各州の特徴、性格のようなものが反映されていて面白い。
 それで思い出したが、もう今から30年も前にオーストラリアに遊びに行った際、ちょうど夏時間が終わって冬時間に切り替わる時期にかかったことがあった。その時偶然にもシドニーに住みカンタス航空に努める友達と、ニュー・サウス・ウェールズ州の内陸部で農家の家庭に生まれ、自らも農家に嫁いだ友達とに、それぞれ会う機会があり、おしゃべりをしていてどちらともサマータイムのことが話題に上った。そうしたところ、シドニーの友達は日が長く感じられるのは歓迎、というポジティブな反応だったのに対し、農場に住む友人は、あれは我々にはあまり恩恵がない、とそっけなく、ネガティブな返事が返って来た。
 このようにサマータイムはオーストラリア国内でも皆が諸手を上げて歓迎しているわけではない制度だが、8月の終わりには、これまで域内で統一してサマータイムを導入して来たEUが、廃止の方向に動き出したことが報じられた。

2018年8月31日付BBC News(スクリーンショット)
2018年8月31日付BBC News(スクリーンショット)

 これはEU域内に住む人たち対象の調査を実施したところ、回答者460万人の内の84%がサマータイム廃止を唱えたことがきっかけだ。その理由としては、一つは元々サマータイムはエネルギーの節約になるとことで導入されたのだが、節約になっているという事実が確認されていないことがある。そして、半年に一回の1時間の時間調整が人間のバイオリズムに悪影響を与え、人間の健康にとってよろしくないことがわかってきたことも廃止を望む動機となっている。
 EUのそのようなニュースも取り上げられる中、日本での導入が検討されたサマータイム。結局、あれだけ大騒ぎしたものの、日本政府は2020オリ・パラに合わせて導入する話を断念したとのニュースが11月初めに流れた。やはりEUで指摘された健康被害への懸念に加え、そもそも2年後に導入することのシステム上の問題などが引っかかったのらしい。
 考えてみれば、日本でサマータイムを導入し、日が長くなると、日本社会の場合その分まだまだ働ける、という話になってしまい、長時間労働を助長することになる恐れが多分にあるのではないだろうか。実際戦後の一時期導入されたサマータイムが定着せず3年で廃止になったのは、そこにも原因があったのだそうだ。サマータイム、というのは、シドニーやメルボルンなどの都会に住み、遊ぶこと、休むことに長けている人々が多いところでないと、そこに暮らす人々にとってワクワクするような制度にはならないのかもしれない。
 10月7日、オーストラリアのサマータイムを導入している州は、淡々と時計を一時間進め、サマータイムへ入った。もちろんEUの動きも知りつつだが、私が向こうのメディアを見ている限り、それが自州のサマータイム制度を見直す議論に大きく発展している形跡はない。健康被害などのサマータイムの負の部分についても、ほとんど懸念の声は聞こえてこず、オーストラリア東南部はいつもと同じ、日の入りの遅い日々を過ごしているようだ。

 さて、オーストラリアの夏、今回は一体どんな夏になるのだろうか。日本では今年の夏はとにかく暑かったし、秋になってからも妙に暖かい日が多く、異常気象を感じさせられるが、夏の入口のオーストラリアでもどうも同じようにちょっと異例なことが起こっている。メルボルンでは11月中旬でも相当寒い日があって、そろそろ気温が上がってもいいんじゃないか、という声が聞こえて来たが、11月最後の週には、各地で大規模な洪水、ブッシュファイアー(森林火災)、砂塵の嵐、そしてなんと降雪に見舞われたのだそうだ。

 いくらオーストラリア広し、と言えども、ここまで極端に異なる自然現象や災害がオーストラリア各地で一遍に起こることは珍しい。シドニーでは2ヶ月の雨量が一日で降ったのだとか。

2018年11月28日付Sydney Morning Herald(スクリーンショット)


 シドニーっ子やメルボルンっ子が日の長い日々を存分に楽しめて、しかしブッシュファイアーは招かない程度の暑さの夏であってくれれば良いと思うが…。



Read More from this Author

Yoko Harada

原田容子: オーストラリア・ウオッチャー。子供時代の一時期を父親の転勤にてシドニーで過ごす。以来オーストラリアとの交流が続き、2003年にそれまでの会社勤めを辞め、シドニー近郊のウーロンゴン大学に留学。修士号、博士号(歴史・政治学)取得。在メルボルンのディーキン大学で研究フェローを務めた後、2013年帰国。外務省の豪州担当部署に一年勤務。現在は個人でオーストラリア研究を継続する傍ら、大学で教える。