お箸を使う人々

 早野龍五さんという東京大学の物理学ご専門の先生のツイッターをここ何年かフォローしている。物理に関しては絶望的にセンスのない私なのだが、2011年の東日本大震災後に福島での原発事故に関連して、現地の内部被爆の状況や甲状腺の検査などについて、データに基づいた情報をメインにツイートしておられたことがきっかけだった。
 その早野先生が9月初め、オーストラリアへ出張に出られた様子をツイートしておられた。福島へはもちろん、国内外のご出張に数多く精力的に出ておられるようにお見受けするが、海外出張の行先の多くは欧州のようで、ひょっとしたらオーストラリアへ行かれたのは初めてでいらしたのかもしれない。出席されたアデレードで開催された学会の会場からの「カンガルーの国へやってきた」など、“オーストラリア初心者さん”を感じさせるツイートを数日楽しませてもらった。

早野龍吾先生のツイートのスクリーンショット


 そんなオーストラリア発の早野先生のいくつかのツイートの中に、こんなツイートがあった。

早野龍吾先生のツイートのスクリーンショット


 会場の食堂で出された日本の人たちにはお馴染みの“おてもと”である。意外なところで、意外なものに出くわした、というニュアンスか…。
 これは実はオーストラリアの外食シーンではそれほど珍しくない光景だ。中華系はもちろん、ベトナム料理、そして寿司、ラーメン、またたまにお弁当など和食のレストラン、テイクアウトのお店も普通にあちこちにあるので、お箸が登場する機会は多く、“おてもと”はオーストラリアでの外食の日常の光景となっている。

シドニーのフードコートの“おてもと“


キャンベラのテイクアウトの“おてもと“


 一昔前であれば、ヨーロッパバックグラウンドのオーストラリア人たちは、レストランなどで箸を出された時にはフォークやスプーンを頼むのが普通だった。それが最近では不器用ながらもお箸を使う人たちが圧倒的に増えた。実はこれが私が21世紀になって再びオーストラリアに住むことになった際に一番隔世の感があったことの一つだ。30年の歳月を経て、オーストラリア人はお箸を使う民になっていた!

ウーロンゴンのショッピングセンターとウーロンゴン大学のフードコート


シドニーに出来た「一風堂」で


 オーストラリアにアジアからの移民が本格的に入るようになったのは、1970年代後半にベトナム戦争に起因するインドシナ難民を多く受け入れた時からだが、移民してきた人たちは、当然だが彼らの文化、特に食文化も一緒に持ってやってきた。そのことが元々のヨーロッパの流れを汲むオーストラリアの食文化を大きく変化させた。そして、その過程でお箸も彼らの食事の風景に定着していっている。
 これには、単純にお箸に接する機会が圧倒的に増えたから、ということと同時に、やはり70年代から「多文化共生社会」を標榜し、異文化の存在を認め、尊重し、受け入れることを、教育現場を含め、社会の各所で浸透させて来たことがあるのではないだろうか。「郷に入れば郷に従え」を自国内で実践している、と言えるだろう。
 これを特にアジアという異文化に対する態度、という面から見てみると、近年ヨーロッパからオーストラリアへやって来た人たちと比べた時に如実にその違いが出て面白い。もちろん個々人でそれぞれ違うとは思うが、私の印象では総じてヨーロッパからの人たちは頑なにお箸に挑戦することをしない。私が接した人たちは留学生が多かったのだが、スウェーデンからの友達も、ドイツからの友達もレストランでお箸がテーブルに置かれていても、お箸には全く興味を示さずに、すぐ店員さんにフォークを求めた。その傍らでオーストラリアの人たちが、私が見ると実に使いにくそうだが、彼らなりに工夫した箸の持ち方で食事をしている光景を見ているのはなかなか愉快だった。

 とは言え。先日「多文化社会のトイレの問題」のブログで紹介したような異文化、アジアの文化を全く受け入れる余地のない保守的な人たちもまだまだいるオーストラリア。確かに私が見て来たオーストラリア社会は、都会で、生活圏に留学生を含めて外国からの人が多い環境だったから、実際自分の体験がどこまで普遍的なオーストラリア社会の傾向なのかはよくわからないでいたのだが、昨年そのことに絡む面白い出来事をシドニーで体験することとなった。
 昨年7月、シドニー大学で学会があって渡豪したのだが、シドニーに滞在した数日の間、友達の計らいで、彼女のご近所さんのお宅に滞在をさせてもらうことになった。ホームステイをしたという意味ではなく、家主のご夫婦、そして小さいお嬢さん2人の一家が10週間のヨーロッパ旅行に出て不在、ということで、空の一軒家に住まわせてもらったのだ。今日本でも時々話題に上る民泊を無料で利用させてもらったような格好だ。
 その家族とはすれ違いで顔を合わせることはないことが分かっていたのだが、何せ無料で泊まらせてくれる訳なので、これは何か日本から気の利いたお礼の品を持って行かなければ、といろいろ知恵を絞った。そして、最終的に桜の模様があしらわれているテーブルセンターと、キティの付いた子供用のお箸2組をスーツケースに入れてシドニーへ向かった。


 キティは何と言っても世界一有名なネコだし、お箸を使うオーストラリア人は最近では家に箸を持っている人も少なくない。ただ、現地ではなかなか良いお箸を手に入れることは出来ないので、日本からお土産にお箸を持って行くと喜ばれることが多い。使わないまでもお箸はそれだけで日本アートを感じてもらえるし、持って行く側としても嵩張らないので都合が良い。
 と、かなり考えに考えた末、そこそこ自信を持って選んだ品ではあったのだが、しかし、一方でその家族を直接知らない、ということが引っかかっていた。オーストラリアだって広い。アジア文化、そして日本文化を愛でてくれている人たちも多いが、全くそういう世界とはかけ離れた世界に生きている人たちだって沢山いる。果してキティやお箸がこの一家にとって意味のあるものかどうか…。
 そんな不安を抱えつつ、シドニー郊外のマリックビルという街に到着し、一人には広過ぎる家に“チェックイン”した。

泊めていただいたおうちの玄関先


 そして、荷解きをしつつ、まぁ、まずはお茶を飲もう、と食器棚を開けたところ、目の前に鎮座していたのは大きなキティをあしらったマグカップだった!
 「あぁ、良かった!ここの女の子たちは少なくともこのネコのことを知っているらしい!」
 “キティ・テスト”をパスした瞬間だ。
 そして、更に。今度はスプーンを出そうと引き出しを開けたところ、なんと、お箸がゴロっと何本か無造作に入れられているのが目に入って来た。
 見事“箸・テスト”もパスである!
 他人のお宅の物なので、さすがに写真には収めなかったが、世界一有名なネコのパワー、そしてオーストラリアの人々の生活へのお箸の進出度(?)と、オーストラリア社会のアジア化を肌で感じた瞬間だった。家庭の中にまで従来のヨーロッパ文化とは異質な文化が浸透してきているオーストラリア。これが正に“ソフトパワー”か。
 さて、そんなオーストラリアの次のステップは何なのだろう?取り敢えず、お箸の正しい使い方教室でもやれば、ひょっとしたら流行るだろうか…。

マリックビルの電車の駅と公会堂




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Yoko Harada

原田容子: オーストラリア・ウオッチャー。子供時代の一時期を父親の転勤にてシドニーで過ごす。以来オーストラリアとの交流が続き、2003年にそれまでの会社勤めを辞め、シドニー近郊のウーロンゴン大学に留学。修士号、博士号(歴史・政治学)取得。在メルボルンのディーキン大学で研究フェローを務めた後、2013年帰国。外務省の豪州担当部署に一年勤務。現在は個人でオーストラリア研究を継続する傍ら、大学で教える。