“日本らしい”いなり寿司とパン屋と

 2月の終わりからオーストラリア旅行に出かけていたが、3月中旬に戻って来たら、私が高校、大学時代を過ごした大阪府豊中市が世間を騒がせていてビックリした。正確には、もちろん豊中市が世間を騒がせていたのではなく、豊中市にあった国有地を巡る様々な問題が騒ぎになっていた、ということなのだが、東京に住んでいて滅多に「とよなか」の名前を聞くことはないので、少々驚くと共に、なんだかとんだことで全国区になってしまったなぁ、と思った。
 今回の「森友学園問題」は特別フォローしようと思わなくても、ネットを見ていると様々な情報が否応なしに目に飛び込んで来て、私も国会での証人喚問というものを初めてライブで見たりしたが、そうこうしていたら、今度は「パン屋」と「和菓子屋」というキーワードがネット上で踊り始めた。改めて解説するまでもなく、今回の教科書検定で、ある教科書会社が「道徳」の教科書に登場する人物の職業をパン屋としていたところ、文部科学省から「日本らしい」ものに変更を、との意見が付き、和菓子屋に変えた、という話である。(注

 そんなことを言い出したら、トイレはみんな和式に付け替えないと「不道徳」ということになってしまうなぁ、ウォシュレットなどとんでもない話だなぁ、と笑いながら考えていたのだが、このパン屋・和菓子屋の話と森友学園問題にはどこか共通項があるように感じる。それは、どちらのケースにも「ほんものの日本」「唯一無二の日本」、あるいは日本人であれば説明せずとも皆が同様に認識している「日本らしいもの」の存在を信じる人たちがいて、それを教育を通じて子供たちに教えようとしているところだ。
 この「ほんものの日本」とか「日本らしいもの」とは何かということは、国内にいるよりも、海外にいる方がよく考えさせられる事柄ではないだろうか。それはオーストラリアにおいても同様である。

 今回1年半ぶりに訪れたオーストラリア。前々からテイクアウトで人気の寿司が、益々“進化”を遂げていた。特に「いなり寿司」が何というか、大変な化け方、弾け方をしてしまっていたのだ!
 これはメルボルンのスワンストン通りに面した「SUSHI HUB」という寿司チェーンの店舗だ。


 「SUSHI HUB」はその後シドニーでも見かけ、やはりお客が群がっていた。日本のコンビニの寿司コーナーよりも明らかにカラフルな寿司たち。よく見ると端の方に従来の海苔で巻いた寿司が見えるが、メインは「いなり」ある。個人的にはちょっと食欲が湧きにくい色彩のいなりを眺めながら、“外国人観光客”を地で行って、お客さんの間に割って入って激写をしてしまった。


 タコサラダいなりにクラゲサラダいなり。ロブスターサラダ、アワビサラダ、イカサラダ、そして野菜天ぷらいなり…。大変な種類だ。
 どうしてこんなにいなり寿司の人気が出たのか…。いなり=豆腐、ということで、健康志向に何か訴えるところがあったのか…全てのいなりに「サラダ」とあるのはその証か…。あるいは、向こうの人たちは甘めのものを美味しく感じているようなので、いなりに甘い味付けがしているのが受けているのか…。いなりがカップの形になってトッピングがしやすく、バリエーションが作りやすかったのか…。どの理由も想像の域を出ないが、とにかくこれは元来のいなり寿司がびっくりして逃げ出すぐらい、大変なディフュージョン版の台頭だ。「いなり寿司革命」と呼ぶのは大袈裟か?
 このようないなり寿司を目の当たりにすると、咄嗟に「これはいなり寿司じゃないでしょう??」というセリフが口を突いて出る。以前に海苔巻きタイプの寿司や握り寿司がテイクアウトで人気となった時も、具に照り焼きチキンが入っていたり、マヨネーズが一杯かかっていたりで、これは寿司じゃないよねぇ、と日本人の友達とは言い合ったものだ。
 しかしある時ハタと思い至ったことがあった。日本のコンビニなどでツナマヨのおにぎりが売られ出した頃、自分はその梅干しとかおかかとか鮭とか、伝統的なおにぎりの具ではない西洋風の具が入ったおにぎりを、美味しいと思って食べ、これは斬新な発想だ!とポジティブな評価をしてはいなかったか。昨今のコンビニおにぎりの進化ぶりは更にすごく、たまにシンプルな鮭おにぎりを探すのが難しかったりするほどだが、その多様な新種のおにぎりは、どれも日本の消費者に「日本のおにぎり」として受け入れられているのではないだろうか。
 そう考えるとあながちオーストラリアの寿司が「日本のホンモノ」とは違う寿司、とは言えないなぁ、と思えて来た。海外で日本人ではない人たちが作っているから、それがホンモノの寿司でない、ということは言えないだろう。最終的には、「寿司」は「酢」「飯」。酢飯を使っていればそれは「寿司」になるのではないか。もっともオーストラリアで出会った「寿司」の中には、ご飯が酢飯になっていないものもあったので、それはどうなのか。と、話は更にややこしくなってしまうのだが。

 ところで、今回「パン屋」が話題に上ったので、オーストラリアの“日式”のパン屋さん「Bread Top」のことについても書いておきたい。


 これはシドニー市内、ジョージストリート沿いの店舗の写真だが、元々はメルボルン郊外ボックスヒルで立ち上がったパン屋さんだ。因みにボックスヒルは、以前に「多文化社会とトイレの問題 」のブログで触れた、中国系を初めとしてアジア系の住民が多い町である。
 店頭の感じ、そして中に並ぶパンの感じ。正に日本のパン屋さんにそっくりではないか。


 パンの国なのに?と意外に思われるかもしれないが、オーストラリアのパンはあまり美味しくない。もちろん人それぞれ好みがあるので異論のある人もいるだろうが、私は総じてパンには不満があった。買ってきたその日に食べるとまぁまぁだったし、サンドイッチにして食べるとそれなりに美味しいのだが、どうもただトーストにして食べると、パン自体の旨みが日本の食パンに比べると劣る感じがしていた。
 そのような時にやはり日本人の友達からシドニー市内に日本風のパンを売るお店が出来た、と教えられた。それが「Bread Top」だった。そこに行くと日本のようなロールパンや食パンがあって、市内へ出掛けると、日本人の友達の分も併せてよく買って帰って来たものだ。
 この「Bread Top」のオーナーは90年代に香港から移民してきた人らしい。(注)フランスのパン職人の認定も受けているが、実は日本でも修行をしている。日本の町のパン屋さんと同じような菓子パン・惣菜パンが並ぶのはきっとそのためだろう。トレーとトングが備え付けられていて、それで自由に客がパンを選んで買う方式も、ひょっとすると日本のパン屋さんに学んだのかもしれない。
 商品名が書かれているカードを見ると、食パンは「日本超軟方包」、あんパン風のアーモンドの餡が入ったロールパンは「日式杏仁巻」と表示されている。(漢字が使われているのは、顧客に中華系の人が多いからだ。)これは、正にそれらは日本発のパンであり、お役人さんたちが何と言おうと、パンは今や日本の人たちの生活に根付き、日本らしいものとして国外では捉えられていることの証だと思う。
 そして何と言っても、私たちオーストラリア在住の日本人が、当時「Bread Top」にパンを買いに走ったのは、そこに懐かしい日本の味、食感があったからである。それが「日本らしい」ものでなくて、何だと言うのだろうか。オーストラリアでもどこでも良いが、一度国外にある「日本」を見つめてみると、「日本らしい」とは何か、そもそもその厳格な規定は出来るのか、日本列島に根付く文化もそれを取り巻く他の文化と交流しつつ、進化・深化していくものなのではないか、という当たり前の事実に気づくことが出来るのではないだろうか。



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Yoko Harada

原田容子: オーストラリア・ウオッチャー。子供時代の一時期を父親の転勤にてシドニーで過ごす。以来オーストラリアとの交流が続き、2003年にそれまでの会社勤めを辞め、シドニー近郊のウーロンゴン大学に留学。修士号、博士号(歴史・政治学)取得。在メルボルンのディーキン大学で研究フェローを務めた後、2013年帰国。外務省の豪州担当部署に一年勤務。現在は個人でオーストラリア研究を継続する傍ら、大学で教える。