シドニー湾年越し花火の天と地と

 新しい年となって早くも半月以上が過ぎてしまった。オーストラリアでは新年よりもクリスマスが大きい行事で、クリスマス前後は仕事も休みになるところが多いが、年明けは2日から通常モードに戻る職場も少なくない。ただしこの時期は学校の長い夏休みに当たるので、この時期に長期の休暇を取る家庭は多く、本格始動、というムードからはほど遠い。テレビやラジオも夏の特別番組を放送しているところが多く、メインのキャスターたちも長期休暇に入り、12月、1月はピンチヒッターのキャスターたちが出演する。
 そして議会も政治家たちも休暇中。議会の立ち上がりは2月7日だ。そういう意味では、1月14日に安倍首相が豪州訪問を行い、ターンブル首相と会談しているが、ターンブル首相の夏休みにちょっとお邪魔してしまった格好ではないか。ターンブル首相の地元であり、首相の第二の公邸(Kirribilli House)があるシドニーで会談が設定されたのには、そのような背景もあったのかもしれない。

 さて、少しのんびりムードで滑り出したオーストラリアの2017年だが、例年同様、年越しは派手に行われた。特に国外からも注目が集まるシドニー湾の花火は、また前年の記録を越える規模で華々しく開催された。
 シドニー湾の年越し花火は、まず早く就寝してしまう子供たちのための午後9時の回があり、その後満を持して午前0時の本番の花火が上がる。今回の花火ショーは約12分で、シドニーモーニングヘラルド紙によると、約150万人の人たちが生で花火を見るためにシドニー湾に集まったのだとか。

シドニー湾2016/2017年越し花火(ABCテレビのyou tubeより)


 この年越し花火を私は一度だけハーバーブリッジの麓辺りで眺めたことがある。2003年、その年私はシドニー郊外のウーロンゴンという町に留学をしたが、暮れに日本から友達が遊びに来てくれたので、人混みは元来苦手な私だが、折角なので、と現地へ繰り出した。
 この花火に私は個人的に特に思い入れがあった。子供の頃住んだシドニーから帰国した1970年代、そして80年代と、オーストラリアのニュースが日本で報道されることは少なかった。インターネットもまだ普及していない時代。オーストラリア関連の情報はよっぽど自分から探しに行かないと手に入れられない時代だった。
 それが90年代に入り、ある時大晦日にテレビを見ていたら、世界の国々が新年を迎える様子を伝える番組で懐かしいシドニー湾の年越し花火の様子が報道され、歓喜した。いずれまたオーストラリアに住みたいなぁ、とずっと思っていたので、再上陸してあの花火を生で観よう!と思った。それから多くの年月が流れ、2003年に夢が叶い、遂に年越し花火の現場にも足を運ぶことが出来たのだ。
 当日はシドニー湾からは少し離れたダーリング・ハーバーで9時に上がった小規模の花火を見てからハーバーブリッジ近辺を目指した。予想通りの激混み状態だったが、なんとか橋の麓近くにあるオーストラリア現代美術館(Contemporary Art Museum of Australia)の辺りに居場所を確保。

左端の建物が現代美術館(Archelloのウェブサイトより)


 そして、午前0時。人やら建物やらに遮られて、全貌を臨むことは出来なかったが、遂に生で“あの”花火を見、そしてその音やその場の賑わいを体感した。

 と、それは私にとっては正にdream comes trueの瞬間で、実に感慨深く夜空を見上げたのだが、しかし、それがただただ感動に満ちた時間だったか、というと、実は実態は少々違っていた。確かに頭上に広がる様々な花火の共演は素晴らしかったが、目を地上に落すと…
 その年の花火大会に一体何人の観客が押し寄せたのかは知らないが、とにかく山のような人出。東京の通勤電車よりは少々すいているかもしれないが、そう、歩く人のスピードはゆっくりだが、混み具合は渋谷のハチ公前の交差点を渡る時に近い状態で、自分の思っているようには歩けない。おまけに周りの人々はほとんどが酔っ払い。そりゃぁ、そうだ。花火を見るベストスポットを確保するには朝早くから並んで場所取りをし、何時間も花火の時間までそこで待っていることになるので、早くからお酒を飲んでお祭り気分にでもなっていない限りやることがない。結果、深夜にはすっかり皆デキ上がってる、という訳だ。
 更に、お酒を飲めば、そしてそれだけ長時間滞在すれば当然トイレに行きたくなる訳だが、非常にショックだったのは多くの男性が現代美術館の壁に向かって用を足していて、その辺りは地面がとにかく“カオス”だったことだ。周囲にトイレの数が少なかったからだろうけど、それにしても、である。また足元はゴミだらけで、お世辞にも綺麗とは言えない状態。最後にダメ押しで、帰りのフェリーに乗るために乗り場に混雑の中歩いていく間に友達が痴漢に合う始末で、空での見事なショーとは対照的に、地上ではお世辞にも美しいとは言えない光景が繰り広げられていた。お蔭で宿舎に辿り着いた時にはシドニー湾年越し花火を生で観た、という感動はかなり醒めてしまっていた。正にこれが天国と地獄を見た!か。天空の美しさと、地上の汚さとのギャップが印象に残った体験となった。
 その後10回連続オーストラリアで年越しをしたけれど、シドニー湾の花火の現場には一度も出かけていない。2003年のトラウマ的体験の影響もあるが、同時に年々規模が肥大化していくシドニー湾年越し花火にあまり魅力を感じなくなってしまったのだ。なんだか規模が大きければ良い、迫力があれば良い、という花火にどうも馴染めない。米国で7月4日の花火を見た時にも同じことを思ったのだが、情緒が足りない。その点、やはり日本の花火はデカさ、迫力だけではない何か…ポエジーとでも呼べるものがある…と思うのは、あくまでも私の個人的な感覚だろうか。

 という訳で、その後は自宅でお節料理やお雑煮を作って過ごすようになった。自分の料理の力量、材料の関係もあって完璧なものを作ることは出来ないが、その昔更に日本の食材が少なかった70年代に母がシドニーで作ってくれたお節を思い出しながら、ミニお節を作るのはなかなか幸せなことだった。そうそう、ネットで聴ける除夜の鐘、というのを聴いたこともあった。日本にいる時にはそれほどこだわっていたわけではないのに、不思議なことである。

2013年の元日のミニお節


 そして、ウーロンゴン時代にはフェアリーメドウという海辺のエリアに学生寮があったこともあり、これも日本では見たことがなかった初日の出を拝みに早朝の散歩をした。そもそも朝は大の苦手の私には、初日の出を見に早く起きた、ということだけで、その年は良い年になりそうに思ったものだ。
 以下は2010年の元日のフェアリーメドウの初日の出の光景。何か輝かしい新年がやってきたような気持ちにならないだろうか。2017年が輝かしい、とは行かなくても、平穏な年となることを祈りつつ、、、









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Yoko Harada

原田容子: オーストラリア・ウオッチャー。子供時代の一時期を父親の転勤にてシドニーで過ごす。以来オーストラリアとの交流が続き、2003年にそれまでの会社勤めを辞め、シドニー近郊のウーロンゴン大学に留学。修士号、博士号(歴史・政治学)取得。在メルボルンのディーキン大学で研究フェローを務めた後、2013年帰国。外務省の豪州担当部署に一年勤務。現在は個人でオーストラリア研究を継続する傍ら、大学で教える。